<< 昨日見たもの 昨日のかきこ | main | 昨日見たもの 昨日のかきこ >>

スポンサーサイト

0
    • 2017.08.14 Monday
    • -
    • -
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    一定期間更新がないため広告を表示しています


    ライティング倶楽部第三回(正式には第二回)でやらかしました。

    0
      11/12のライティング倶楽部のテーマは前回書いた通り、「隠れ家」。関係ないが、今回から「ライティング倶楽部作品」タグを作ってみた。

      今回は、前二回と違い、読者が楽しめるかどうかは全く考えず、徹底的に趣味に走った。おまけに字数制限も最初から完全に無視したので、仕事でそんなことしたら最初から失格である。

      読めば分るように、これはいわゆる「ポストモダン小説」と呼ばれるジャンルの作品である。そこに、SF小説やアニメ等のオタクネタをパクって、もといリスペクトして取り込んだ、完全に自分の趣味に走った内容になっている。
      題からしてあからさまにパクりである。
      これまでの、猫町倶楽部月曜会の課題図書で言えば、カルヴィーノ「見えない都市」や、ポール・オースター「最後の物たちの国で」と同様のジャンルになる。

      「見えない都市」とポストモダン小説については、以前書いたこちらを参照するように。めちゃくちゃ長いが。
      http://d.hatena.ne.jp/nakamiyatakashi/20110218

      世界の片隅で孤独を叫んだけもの(お題:隠れ家)
      https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wfwlrvuokgmk7eaqoonohfmtka-1001&uniqid=66ab015a-6576-46d9-9f0a-e43692a6e8dc&viewtype=detail

      以下はネタバレになるので、読了していない者は読まないように。





      本来、作品の「意味」とか「メッセージ性」とかを重視しない、そして、書かれていることよりも書かれていないことを重視するポストモダン小説においては特にそうだが、作者自身が内容について解説するということ自体恥ずかしいことである。だって、解説でやらずに作品でやれ!って話しだしね。だがあえて、ネタ等を解説しよう!

      まず、古くはカフカにも通じる点だが、「主人公」がよくわからない構造になっている。「隊長」?訳者?それとも…。ひどいポストモダン小説になると、「読者」を「主人公」として取り込んでしまう手法もまま見られる。
      オースターの「最後の物たちの国で」は、北朝鮮よりも酷い飢餓と混乱に襲われた国に、兄を探しに入国した「妹」からの生活苦や命の危険を訴える手紙をそのまま掲載するという構造になっていたが、これも主人公は一体誰なのか、よくわからない。一見、手紙の主である妹が主人公のように見えるが、実は、その「手紙」を読んでいる、冒頭以外では全くといって良いほど触れられない意図的に隠された「手紙の受け取り主」が主人公になっている。そして手紙の内容の真偽自体についても全く語られない。極端な話、「妹」は実は兄を探しに行ったのではなく、精神病院か何かに入っていて、そこから妄想で書かれた手紙を送っているのかも知れないのである。それどころか、そもそも「妹」自体存在せず、手紙自体が「手紙の受け取り主」によるでっち上げかも知れないのだ。ここでもやはり、「書かれていないこと」の重要性が顔をのぞかせる。
      今回の作品も、FinalReportの内容の真偽は全くわからないし語っていない点では、その辺りをパクっている。

      次に、題名であるが、これはエヴァンゲリオンのエピソードタイトルからのパクリである(「けだもの」にするか、「けもの」にするかは迷った。それに実はあのタイトル自体が別の作品からのパクリでもある)。しかしここでも、「けもの」が誰なのか、よくわからない構造になっている。一見すると、「隊長」に見える。しかし実は、カフカの「変身」同様、「けもの」は誰・何なのか、「変身」したのは誰・何なのかが多面的に解釈できる(しなければならない)構造になっている。このあたりは、最近もまた映画化された、SFの古典的名作にして、ゾンビ物の始祖とされることもある「地球最後の男」などに顕著に見られる構造だが、実は「けもの」は「隊長」ではなく、我々人類かも知れないのだ(何しろ異星人を「サンプル」にしちゃっている)。
      今回のお題である「隠れ家」も、一見「隊長」が「隠れ家」にいる、という物語に見えるが、これも様々なとりかたが出来るようにしている、というよりわざわざ、一つに特定できないようにしている。例えば、異星人文明が存在すると知りながら、それを2年間も各国政府が事実を隠し続けている、銀河系の端っこに住まう我々こそが「世界の片隅」という「隠れ家」で「孤独を叫んだけもの」かも知れないのである。
      「隊長」の口から語られているだけでも、「自殺」「引きこもり」「軍隊ならざる自衛隊」「愛国心」「読書」等の様々な「隠れ家」が登場する。
      そしてそれ以外にも「語られていない」「書かれていない」ところに「隠れ家」を更に多く見つけることが出来る。例えば、なぜ彼らの母星は消えたのか?戦争のせい?あるいは原発事故のように、何らかの星系規模のパワープラント事故?そもそも原因がわからない。戦争のせいだとしたら、当然「敵」の地球外文明が他にいる筈だ(文中にも敵の存在は示唆されている)。だとすれば、例え「隊長」の文明が滅んでも、その「敵」が地球にやってくるかも知れない。その事実から人類は目を背けて未だに「隠れ家」に引き篭っている。何らかの事故のせいなら、やはり「隊長」の文明も地球人も、エネルギーの危険性から目を背けて「科学技術信仰」という「隠れ家」に閉じこもっている。

      三つ目に、前述の「見えない都市」の書評にも書いたように、ポストモダン小説の書き手は大抵軽薄さやジョークやいたずらを好む。この作品で、FinalReportの日付がライティング倶楽部の当日になっていること、「ロス128(おとめ座FI星)」と言う星が出てくることも(僕は乙女座なんで)、特に意味はないただのお遊びである。
      こういう意味のないイタズラを散りばめて、読者が勝手に「意味」を考え悩むのを見て喜ぶのも、ポストモダン小説家によく見られる症状なのである。アニメでも、エヴァンゲリオンも実はそうだったりする。
      念の為言っておくと、ロス128は生命は存在し得ない星として知られているので、SFオタや科学オタには許せない設定だろう。これも、それが分かっていてやるというのが、ポストモダン小説家の特徴である。それ以外にも、科学的に見ると色々おかしなツッコミどころ満載なんだが、そういう「いたずら」もわざとやっちゃうのが、ポストモダン小説に顕著に見られる傾向である。

      四つ目に、これは実際に参加したメンバーしかわからないことではあるが、もともとキモオタの僕ではあるが、当日は、徹底的にキモオタスタイルで参加した。魔法少女まどか☆マギカのキュゥべえTシャツに、「僕と契約してよ!」と書いているキュゥべえ名刺入れのコンボ、そしてあのマミさんの「厄除祈願」(マミられたんだからお前が厄除できてねーだろ(笑))お守りを「左耳」からぶら下げ、目の前には大量のマンガや小説の類を積み上げるという、完全に引かれる姿で参加した。更にキモイことに、気付いていない参加者が殆どだったろうが、その積みあげられた本は全て、他の参加者が「心当たりのある」本ばかりである。特に、気付いた女性参加者には「えぇ?何で私が好きな(嫌いな)それを持ってきているの!?」とか引かれることは間違いない(笑)。下手をすると、「中宮が参加するならキモイからもう来ない!」とか苦情が来る可能性まである。
      これも実はポストモダン小説家の特徴だ。彼らは作品には意味を持たせないくせに、自らの奇抜な姿や言動などで注目を集めようとする傾向がある。それを、自分なりに(不完全ながら)真似てみたわけだ。なにせオタクを自称しながら、僕は元々その手のグッズ収集にはほとんど興味がなく、作品だけを見て解釈するタイプのオタクなもんで、今回使用した小道具も、東京月曜会のカフカ「変身」の回に上京した際に、わざわざ池袋オタロードのアニメイトで買い揃えたものだ(本当は月曜会で「変身」のドレスコードのために使うつもりだったのだが、阿呆なことに当日持っていくのを忘れて使えなかった(;´Д‘)。それを今回「有効利用」させてもらった)

      五つ目に、フォントについて。まずタイトルの「世界の片隅で孤独を叫んだけもの」は、「怨霊フォント」と呼ばれるものをダウンロードして使用した。そしてタイトルのフォントサイズ自体が本文より小さいのも、「世界の片隅」を強調するためである。FinalReportの中で出てくる英文は全て、WORDの標準フォントである「クリンゴン・ダガー(クリンゴン人の短剣)」を使用している。SFオタなら常識の、あのスター・トレックに登場する凶暴な(だが誇りと名誉を重んじる)異星人「クリンゴン人」をイメージして作られたフォントである(そんなものが標準フォントにあるほどに、スタトレはアメリカでは「一般教養」なのである)。

      さて、この作品についての他の参加者の反応は、最初から総スカンであろうことは予想していた。実際、これまで結構いい線行っていた「人気投票」でも、「一番好きな作品」として挙げた参加者は一人もいなかった。面倒になってきたので、ある参加者に後日宛てたメッセージを引用して解説に代える。

      -----

      むしろ、○×様のようなごく普通に真面目に社会で貢献しておられる方に、あの作品を「すんげぇ!」とか賞賛していただいたら困ります(笑)。

      私の持論ですが(夏目漱石のいわゆる「大説・小説」論にかなり似ていますが)、娯楽小説などと違って「文学」というのは、一種の処方薬のようなものだと考えています。つまり、病人にしか必要のないものなのです。そして病気の種類ごとに、効果のある薬は違ってきます。風邪引いただけの人に風邪薬ではなく、抗癌剤とかモルヒネなどを与えたら風邪が治るどころかかえって大変なことになります。ましてや、健康な人々に抗癌剤を処方してしまえば、かえって副作用で死んでしまうかも知れません。
      よって、あの作品は、健康な人々が集う当会で支持を受けるとか理解されるとは最初から思っていませんでしたし、支持を受けていたら困る、というわけです。みんな実は病気だった、ってことになりますから。
      あの作品は、あの場では口足らずでお伝えしきれなかったと思いますが、月曜会で今年課題本になった「ポストモダン小説」と呼ばれるジャンルの、カルヴィーノ「見えない都市」や、ポール・オースターの書作品を意識して書いたものです。
      いずれも○×様には必要ない作品ですし、実際それらの回では、参加者の多くが「?」な状態で、「よくわからない」という反応がほとんどでした(そしてそれは健康な反応だと思います)。

      -----
      ※文中の「書作品」は、「諸作品」間違いであるが原文のママとした。

      眠くなってきたので、あとは勝手に解釈するように。それが本来の「ポストモダン小説」というものであるし。
      あと忘れていたが、執筆時間はいつものように2時間程度。アイデアもすぐ湧いた。これまでで一番、湧きすぎてどれにしようか迷ったぐらいなのだが、一番人気がでないであろうこれにした(笑)。ただいつもと違って、執筆自体は時間ギリギリではなく前日に終わらせてしまっていた。あと右肩の「12」って数字(これもクリンゴン・ダガーフォントだが)は、作品番号である。ライティング倶楽部では最初は匿名で配布して、後で著者を発表するため、発表までは作品番号で識別するのでそのための数字だ。
      そして今回の参加者の作品の傾向は、以下のようになった。予想通り、今回が物語とか詩とかのフィクションが一番多かった。ただ予想外だったのは、前回の第二回と違い、殆どの参加者が字数制限を律儀に守っていやがって、「今回は最初から字数制限なんて無視していた」僕の作品が、一番長くなってしまっていたってこと(笑)。

           論文 エッセイ 物語 マンガ 詩
      第一回   1   7    5   0  0
      第二回   0   3    7   1  1
      第三回   0   2    8   0  2 ※二作品を出した参加者もいるので、それを含めるとマンガが1になる。

      スポンサーサイト

      0
        • 2017.08.14 Monday
        • -
        • 23:56
        • -
        • -
        • -
        • -
        • by スポンサードリンク

        コメント
        コメントする









        calendar
        1234567
        891011121314
        15161718192021
        22232425262728
        293031    
        << October 2017 >>
        PR
        selected entries
        categories
        archives
        recent comment
        links
        profile
        search this site.
        others
        mobile
        qrcode
        powered
        無料ブログ作成サービス JUGEM