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トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び4
- 2012.02.04 Saturday
- 読書
- 00:05
- comments(2)
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- -
- by 中宮崇
トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び3の続き。
http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3402
P74L15「メツガーはテキーラ・サワーの入った巨大な魔法瓶を持ち出してきた」
これはちょっと勘ぐり過ぎかも知れませんが、魔法瓶は1881年、ドイツのアドルフ・フェルディナント・ヴァインホルトによって発明されたものだそうで、ここにもドイツの影が見て取れます。またテキーラ・サワーにはレモンが使用されますが、英語で「レモン」は前述の通り欠陥品を意味しており、主人公の夫で元中古車商のムーチョを揶揄しているとも取れます。
ポストモダン的文脈からの注意点としては、メツガーは悪ガキ集団のザ・パラノイドにサンドイッチや魔法瓶の中身等を掠め取られるのを防ぐためにこの魔法瓶の上に坐って見張りをしますが(P80)、当然そんなことをしたら、せっかく持ってきた魔法瓶の中身を自分も飲めなくなる(そしてそのことにメツガー自身は気づいていない)点も重要です。巨大な富を独占しつつもそれを守ることばかりに熱中する余りその果実を味わうことにまで気が回らず生きるか、それとも、貧しき人々とその富を共に分かち合うか。当時のベトナム反戦運動などにも通じる政治・社会問題と言えます。
P76L1「アルミ製トライマラン<ゴジラ二世>号に乗せ」
ゴジラはアメリカでも54年と64年に上映され、当時のベトナム反戦運動の機運にも乗り、大好評をもって受け入れられます。ゴジラという怪獣が、アメリカの核実験の結果として誕生したという設定を思い起こしましょう。そしてゴジラという作品が決して悪の怪獣vs正義の人類、というそれまでの映像作品にありがちであった単純な構図ではなく、むしろ悪の人類vs被害者の怪獣、という、現代的アニメ・特撮ものの設定につながる陰を持った世界観を持っていた点も重要です。
P77L16「<コーザ・ノストラ>の大物だよ」
解注に書いていない重要な点。ラッキー・ルチアーノに率いられていたことで有名なこのマフィアは、第二次大戦中にイタリア・ファシスト党のムッソリーニにより大弾圧を受けメンバーの多くが収監されていました。ところが、作中でも少し触れられている連合軍によるイタリア上陸作戦に伴うイタリア降伏によって、「独裁者によって収監されている人々は自由と民主主義を信奉する善良な人々に違いない」とウブにも思い込んでいた米軍は何と「政治犯」である彼らマフィアを全て「解放」してしまいました。当然彼らは現地イタリアは勿論のこと、アメリカにまで進出し、後に映画などにもなる数々の大規模犯罪を引き起こします。作品中の60年代は、こうした「自由と民主主義を世界にもたらすアメリカの善意」により生み出されたマフィアの抗争がアメリカ中を震撼させていた時期です。
P78L4「昔のダロウ弁護士みたいな華々しいこと」
不思議なことに解注では「労働者のために戦った」とかスコープス裁判のこととか、お花畑的な解説しかせず無視していますが、ダロウ弁護士はこの作品においてはむしろ、レオポルド・ロープ事件の方が重要なのではないでしょうか。時期的にも、オーソン・ウェルズがダロウ弁護士役でこの事件を描いた映画「強迫/ロープ殺人事件」(Compulsion)が59年に公開されているので重なります。また少し前の48年にもヒッチコックが映画「ローブ」(Rope)を製作しています。
事件は、豊かなユダヤ人学生でゲイのカップルでもあったレオポルド(Leopold)とロープ(Loeb)が、自らの優秀さを示すためにおもしろ半分で同じユダヤ人の友人を殺し、完全犯罪を企てたことが発端です。この完全犯罪は些細なミスで簡単に警察に見破られてしまい、その不純な動機と残虐性により世論を激昂させマスメディアの格好の材料となります。二人の弁護を引き受けたダロウは、世間の注目を利用し、12時間に及ぶ弁論で自らの死刑反対思想の宣伝を行い、思惑通りアメリカ中に論争を巻き起こします。そしてこの史上稀に見る凶悪犯を死刑から救い出すことにも成功しました。
かつてナチにより弾圧され「弱者」として見られていたユダヤ人が、彼らを救った(とアメリカ人は考えています)アメリカにおいて、かつてない猟奇的な大犯罪を犯した上に死刑にもならなかったということで、当時のアメリカ人にとっては複雑な思いがあったと思われます。
P79L6「圧縮発泡スチロール製のコップに酒を注いだ」
現代の我々にとってはなんでもないシーンなので見逃してしまいますが、発泡スチロールは1950年にドイツで発明されたものなので、作品中においてはまだ十数年の歴史しかありません。つまり読者にとってこの何気ない一文は、「俺たちが打ちのめしたばかりであるはずの旧敵国で発明されたハイテク商品」というイメージが思い浮かべられることになります。
P81L2「<ビーコンズフィールド煙草>のフィルターのこと、知ってるだろ」
ビーコンズフィールドはアイオワ州の都市の名前ですが、元々この街の名はビクトリア期イギリスを代表するビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ元総理に由来します。そして彼は、イギリスの歴代首相中唯一のユダヤ人です。彼は、大英帝国の積極的植民地政策の担い手として有名ですが、その経歴はボーア戦争とアフガン戦争の苦戦による失脚という形で終わります。これは恐らく、60年代当時のアメリカ人にとって、ベトナム戦争の苦戦と重ね合わせて想起されたと思われます。
P83L5「ドイツの急降下爆撃機スツーカが地上掃射を意図して来るだけ」
日本では軍オタしか知らないスツーカは、アメリカを含む連合国においては、誰でも知っている恐怖の代名詞でした。この安くて簡単な構造の画期的な爆撃機と戦車を組み合わせた「電撃戦」により、ナチスドイツはヨーロッパを席巻しました。電撃戦は勿論のこと、急降下爆撃という戦術を大々的に採用し成功したのはナチが最初です。しかしこの成功にとらわれ、アメリカが大規模に採用した戦略爆撃などの他の戦法への配慮が不足したことが、その後のヒトラー第三帝国の運命を決めます。
P84L3「ロサンジェルスのフォレスト・ローン墓地とアメリカ人の死者崇拝熱についての噂が入っていたかもしれない」
最近ではマイケル・ジャクソンが埋葬されたことで話題になったフォレスト・ローン墓地は、ハリウッドスターをはじめとする奇人変人が埋葬されることで有名です。
また死者崇拝というのは恐らくブードゥー教のことを指しているのだと思いますが、アメリカにおけるブードゥー熱の凄まじさは日本人の想像を絶するものがあります。奇妙な殺人事件が起きればブードゥーの仕業、妙な落書きがされたらブードゥーの仕業、というように、多くのアメリカ人にとってブードゥーは、一定のリアリティを持った秘密組織の代表格です。日本人は「ただの夢想的なフィクションだろう」と笑い飛ばしてしまいがちですが、Xファイルを始めとして数々のドラマや映画において描かれ、少なからぬアメリカ人からはかなりの信憑性とともに受け入れられています。
P84L13「インディアナ州フォート・ウェイン市郊外の倉庫に」
フォート・ウェインはアメリカ独立戦争の英雄であるアンソニー・ウェイン将軍にちなんで名付けられました。ウェインの名を冠した地方自治体は両手両足の指では足りないほどですが、その中でインディアナ州フォート・ウェイン市は、直接ウェイン将軍が創設に関わった都市として「本物」と認識されています。ここでも本作の「本物」と「偽物」のせめぎあいを意識させられます。西部劇や戦争映画で当時人気があったジョン・ウェインの芸名も、ウェイン将軍の名にちなんでいます。ジョン・ウェインは後にメツガーのセリフの中にも出てきますね(P102)。
またウェイン将軍は、独立戦争後は対インディアン戦争で活躍し、西部開拓地の治安向上に貢献しました。これにより東部と西部を結ぶ郵便網を含む通信・輸送ラインが安定的に維持されるようになりました。
P84L17「オステオリシス社の株だけなんだ」
オステオリシス(osteolysis)は医学用語で「骨融解」を意味します。骨炭売買にふさわしい社名でしょう。
P85L4「先の尖ったスニーカーの美女が発言した」
注意が必要ですが、この当時はまだ現在のようなスニーカーは普及していませんし知られていません。この美女は主人公らを覗きや盗聴で悩ます若者集団ザ・パラノイドの一員なわけですが、スニーカーとは元々、19世紀ごろにイギリスの警察で犯人に静かに忍び寄るために開発されたゴム底の消音靴を指しました。
P87L4「もぐりのトランジスター販売店のあいだにあったが、この販売店、去年はなかったし、来年もないだろうというふうな構え、いまのところ日本製のものさえ安売りで、蒸気シャベルで掻きこむほどの大儲けだ」
ソニーを始めとする日本製のトランジスターラジオが大量にアメリカに流入し、深刻な貿易摩擦となっていた時期です。国防上も深刻な事態だということで、アメリカは日本からのトランジスター製品の輸入を規制します。そんな規制をすり抜けて違法に日本製トランジスター製品を密輸し売るこの手のもぐり販売店が乱立し大儲けしました。そしてそのような販売店で売られる「ソニー製」の多くは、ソニー製どころか日本製でさえないような粗悪品でした。ここでもまた「本物」「偽物」が登場するわけです。
P101L17「<ロードランナー>のマンガ映画を」
解注の通り、当時を代表する誰もが知っている国民的漫画「ワイリーコヨーテとロードランナー(Wile E. Coyote and Road Runner)」を指しています。日本人でも40代以上なら、「ミッ!ミッ!とか鳴きながら走る鳥だよ」と言うとわかるかも知れません。作品中では西部劇や郵便制度もパロディ化されて登場します。
作品のお約束のパターンとしては、ダチョウのような容姿で俊足のロードランナーを、コヨーテのワイリーが捉えて食ってしまおうと画策するものの、企ては多くの場合自滅的な失敗に終わるというものです。そして殆どの場合、ロードランナーはワイリーコヨーテに狙われていたこと自体に気づきもしません。つまりワイリーは、そもそもロードランナーを捉えようとしなければひどい目にあいません。これは主人公のエディパが、元をたどれば自分の意志によって色々な陰謀?や面倒にとらわれているという本作のポストモダン小説的構造と重なります。
P102L14「ぼくは三十五歳にもなるんだ」
ムーチョの年齢、ここに書いてありましたね。前回「ムーチョは恐らく20代後半から30代前半と思われますが、これは60年代アメリカにおいては非常に微妙なお年ごろです」とか書いちゃいましたが。
P108L1「ぼくはプラネタリウムの映写機だ」
プラネタリウムもやっぱり、ドイツ人の発明です。そしてここでもまた、実物よりそれを映す・反映する物が重要であるとか、主体より関係性のほうが重要だとかいうポストモダン文学が好んで取り扱うテーマが現れています。この前後あたりの演劇論も、本作のテーマに関連して非常に重要なものですので注意してください。
P113L2「あとの一時間は株主と代理人と会社の役員がヨーヨーダイン合唱会を催した」
P113L15「これにつづいて社長のクレイトン(通称「ブラディ」)・チクリッツ氏みずからの指揮、「オーラ・リー」の節で――」
オーラ・リーは、南北戦争時代に作られた、アメリカ人なら誰でも知っている民謡です。それを解注にあるように、プレスリーがラブ・ミー・テンダー(56年)として編曲し曲を乗せたものを歌ったことによりこの少し前の時期に世界的に知られるようになりました。当然当時の読者は、このシーンでエルビスを思い浮かべるはずです。しかしエルビス自身は、当初映画のために用意されたこの歌を気に入らずバカにしていたということも知られています。また、エルビス自身ドイツ系ユダヤ人とインディアンの血を引いています。その上ロックの神様であるエルビスはデビュー以来人種問題や教育問題の渦中にあり、現代の我々には想像もできないほどに、PTAや白人保守層、宗教団体、警察、軍などからの激しい攻撃を受け続けました。その意味で彼は、60年代アメリカの社会問題の象徴と言うことも出来ます。蛇足ながら、エルビスと結婚し離婚したプリシラ・プレスリーは現在も存命ですが、奇しくも前回触れたドラマ「ダラス」における好演が有名です。
それ以外にもオーラ・リーは様々な編曲や替え歌などが存在しており、ここにも「本物」「偽物」や「オリジナル」「コピー」の構図が登場します。
またこれに続くチクリッツ社長による歌詞は、ヨーヨーダインの暗黒の軍需産業としての側面(本音)を表しており、逆にその前の株主らが合唱した歌詞は、ヨーヨーダインの夢の未来産業としての側面(建前)を表しています。
これまた蛇足ですが、この時期に放映されていた国民的SFドラマ「スタートレック」は、後のシリーズでヨーヨーダイン社を軍艦造船業社として作品中に登場させています。
音楽に詳しくない僕はロックといえば反戦・平和をイメージしてしまうため、オーラ・リー、というよりラブ・ミー・テンダーがこのようなタカ派丸出しの替え歌のネタ元に選ばれた背景がよく分からなかったので調べてみたら、どうも65年にエルビスがビートルズとロスで会見した際のスキャンダルが原因のようです。この際ジョン・レノンは、エルビスのベトナム戦争支持などの政治的立場に反発し、「エルビスのレコードは一枚も持っていない」と言って場を凍りつかせたそうです。この事件を機に、エルビス=タカ派、ビートルズ=ハト派というイメージが定着したため本作のような描写になったのだと思われます。
更に、オーラ・リーの発音に近い単語としてオーラリー(Orrery)というものがありますが、これは18世紀頃に作られた、機械じかけの太陽系模型を指します。そしてその製作者の一人に、トマス・トンピョン(Thomas Tompion)という職人がいます。
続く…か?
トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び5
http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3431
http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3402
P74L15「メツガーはテキーラ・サワーの入った巨大な魔法瓶を持ち出してきた」
これはちょっと勘ぐり過ぎかも知れませんが、魔法瓶は1881年、ドイツのアドルフ・フェルディナント・ヴァインホルトによって発明されたものだそうで、ここにもドイツの影が見て取れます。またテキーラ・サワーにはレモンが使用されますが、英語で「レモン」は前述の通り欠陥品を意味しており、主人公の夫で元中古車商のムーチョを揶揄しているとも取れます。
ポストモダン的文脈からの注意点としては、メツガーは悪ガキ集団のザ・パラノイドにサンドイッチや魔法瓶の中身等を掠め取られるのを防ぐためにこの魔法瓶の上に坐って見張りをしますが(P80)、当然そんなことをしたら、せっかく持ってきた魔法瓶の中身を自分も飲めなくなる(そしてそのことにメツガー自身は気づいていない)点も重要です。巨大な富を独占しつつもそれを守ることばかりに熱中する余りその果実を味わうことにまで気が回らず生きるか、それとも、貧しき人々とその富を共に分かち合うか。当時のベトナム反戦運動などにも通じる政治・社会問題と言えます。
P76L1「アルミ製トライマラン<ゴジラ二世>号に乗せ」
ゴジラはアメリカでも54年と64年に上映され、当時のベトナム反戦運動の機運にも乗り、大好評をもって受け入れられます。ゴジラという怪獣が、アメリカの核実験の結果として誕生したという設定を思い起こしましょう。そしてゴジラという作品が決して悪の怪獣vs正義の人類、というそれまでの映像作品にありがちであった単純な構図ではなく、むしろ悪の人類vs被害者の怪獣、という、現代的アニメ・特撮ものの設定につながる陰を持った世界観を持っていた点も重要です。
P77L16「<コーザ・ノストラ>の大物だよ」
解注に書いていない重要な点。ラッキー・ルチアーノに率いられていたことで有名なこのマフィアは、第二次大戦中にイタリア・ファシスト党のムッソリーニにより大弾圧を受けメンバーの多くが収監されていました。ところが、作中でも少し触れられている連合軍によるイタリア上陸作戦に伴うイタリア降伏によって、「独裁者によって収監されている人々は自由と民主主義を信奉する善良な人々に違いない」とウブにも思い込んでいた米軍は何と「政治犯」である彼らマフィアを全て「解放」してしまいました。当然彼らは現地イタリアは勿論のこと、アメリカにまで進出し、後に映画などにもなる数々の大規模犯罪を引き起こします。作品中の60年代は、こうした「自由と民主主義を世界にもたらすアメリカの善意」により生み出されたマフィアの抗争がアメリカ中を震撼させていた時期です。
P78L4「昔のダロウ弁護士みたいな華々しいこと」
不思議なことに解注では「労働者のために戦った」とかスコープス裁判のこととか、お花畑的な解説しかせず無視していますが、ダロウ弁護士はこの作品においてはむしろ、レオポルド・ロープ事件の方が重要なのではないでしょうか。時期的にも、オーソン・ウェルズがダロウ弁護士役でこの事件を描いた映画「強迫/ロープ殺人事件」(Compulsion)が59年に公開されているので重なります。また少し前の48年にもヒッチコックが映画「ローブ」(Rope)を製作しています。
事件は、豊かなユダヤ人学生でゲイのカップルでもあったレオポルド(Leopold)とロープ(Loeb)が、自らの優秀さを示すためにおもしろ半分で同じユダヤ人の友人を殺し、完全犯罪を企てたことが発端です。この完全犯罪は些細なミスで簡単に警察に見破られてしまい、その不純な動機と残虐性により世論を激昂させマスメディアの格好の材料となります。二人の弁護を引き受けたダロウは、世間の注目を利用し、12時間に及ぶ弁論で自らの死刑反対思想の宣伝を行い、思惑通りアメリカ中に論争を巻き起こします。そしてこの史上稀に見る凶悪犯を死刑から救い出すことにも成功しました。
かつてナチにより弾圧され「弱者」として見られていたユダヤ人が、彼らを救った(とアメリカ人は考えています)アメリカにおいて、かつてない猟奇的な大犯罪を犯した上に死刑にもならなかったということで、当時のアメリカ人にとっては複雑な思いがあったと思われます。
P79L6「圧縮発泡スチロール製のコップに酒を注いだ」
現代の我々にとってはなんでもないシーンなので見逃してしまいますが、発泡スチロールは1950年にドイツで発明されたものなので、作品中においてはまだ十数年の歴史しかありません。つまり読者にとってこの何気ない一文は、「俺たちが打ちのめしたばかりであるはずの旧敵国で発明されたハイテク商品」というイメージが思い浮かべられることになります。
P81L2「<ビーコンズフィールド煙草>のフィルターのこと、知ってるだろ」
ビーコンズフィールドはアイオワ州の都市の名前ですが、元々この街の名はビクトリア期イギリスを代表するビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ元総理に由来します。そして彼は、イギリスの歴代首相中唯一のユダヤ人です。彼は、大英帝国の積極的植民地政策の担い手として有名ですが、その経歴はボーア戦争とアフガン戦争の苦戦による失脚という形で終わります。これは恐らく、60年代当時のアメリカ人にとって、ベトナム戦争の苦戦と重ね合わせて想起されたと思われます。
P83L5「ドイツの急降下爆撃機スツーカが地上掃射を意図して来るだけ」
日本では軍オタしか知らないスツーカは、アメリカを含む連合国においては、誰でも知っている恐怖の代名詞でした。この安くて簡単な構造の画期的な爆撃機と戦車を組み合わせた「電撃戦」により、ナチスドイツはヨーロッパを席巻しました。電撃戦は勿論のこと、急降下爆撃という戦術を大々的に採用し成功したのはナチが最初です。しかしこの成功にとらわれ、アメリカが大規模に採用した戦略爆撃などの他の戦法への配慮が不足したことが、その後のヒトラー第三帝国の運命を決めます。
P84L3「ロサンジェルスのフォレスト・ローン墓地とアメリカ人の死者崇拝熱についての噂が入っていたかもしれない」
最近ではマイケル・ジャクソンが埋葬されたことで話題になったフォレスト・ローン墓地は、ハリウッドスターをはじめとする奇人変人が埋葬されることで有名です。
また死者崇拝というのは恐らくブードゥー教のことを指しているのだと思いますが、アメリカにおけるブードゥー熱の凄まじさは日本人の想像を絶するものがあります。奇妙な殺人事件が起きればブードゥーの仕業、妙な落書きがされたらブードゥーの仕業、というように、多くのアメリカ人にとってブードゥーは、一定のリアリティを持った秘密組織の代表格です。日本人は「ただの夢想的なフィクションだろう」と笑い飛ばしてしまいがちですが、Xファイルを始めとして数々のドラマや映画において描かれ、少なからぬアメリカ人からはかなりの信憑性とともに受け入れられています。
P84L13「インディアナ州フォート・ウェイン市郊外の倉庫に」
フォート・ウェインはアメリカ独立戦争の英雄であるアンソニー・ウェイン将軍にちなんで名付けられました。ウェインの名を冠した地方自治体は両手両足の指では足りないほどですが、その中でインディアナ州フォート・ウェイン市は、直接ウェイン将軍が創設に関わった都市として「本物」と認識されています。ここでも本作の「本物」と「偽物」のせめぎあいを意識させられます。西部劇や戦争映画で当時人気があったジョン・ウェインの芸名も、ウェイン将軍の名にちなんでいます。ジョン・ウェインは後にメツガーのセリフの中にも出てきますね(P102)。
またウェイン将軍は、独立戦争後は対インディアン戦争で活躍し、西部開拓地の治安向上に貢献しました。これにより東部と西部を結ぶ郵便網を含む通信・輸送ラインが安定的に維持されるようになりました。
P84L17「オステオリシス社の株だけなんだ」
オステオリシス(osteolysis)は医学用語で「骨融解」を意味します。骨炭売買にふさわしい社名でしょう。
P85L4「先の尖ったスニーカーの美女が発言した」
注意が必要ですが、この当時はまだ現在のようなスニーカーは普及していませんし知られていません。この美女は主人公らを覗きや盗聴で悩ます若者集団ザ・パラノイドの一員なわけですが、スニーカーとは元々、19世紀ごろにイギリスの警察で犯人に静かに忍び寄るために開発されたゴム底の消音靴を指しました。
P87L4「もぐりのトランジスター販売店のあいだにあったが、この販売店、去年はなかったし、来年もないだろうというふうな構え、いまのところ日本製のものさえ安売りで、蒸気シャベルで掻きこむほどの大儲けだ」
ソニーを始めとする日本製のトランジスターラジオが大量にアメリカに流入し、深刻な貿易摩擦となっていた時期です。国防上も深刻な事態だということで、アメリカは日本からのトランジスター製品の輸入を規制します。そんな規制をすり抜けて違法に日本製トランジスター製品を密輸し売るこの手のもぐり販売店が乱立し大儲けしました。そしてそのような販売店で売られる「ソニー製」の多くは、ソニー製どころか日本製でさえないような粗悪品でした。ここでもまた「本物」「偽物」が登場するわけです。
P101L17「<ロードランナー>のマンガ映画を」
解注の通り、当時を代表する誰もが知っている国民的漫画「ワイリーコヨーテとロードランナー(Wile E. Coyote and Road Runner)」を指しています。日本人でも40代以上なら、「ミッ!ミッ!とか鳴きながら走る鳥だよ」と言うとわかるかも知れません。作品中では西部劇や郵便制度もパロディ化されて登場します。
作品のお約束のパターンとしては、ダチョウのような容姿で俊足のロードランナーを、コヨーテのワイリーが捉えて食ってしまおうと画策するものの、企ては多くの場合自滅的な失敗に終わるというものです。そして殆どの場合、ロードランナーはワイリーコヨーテに狙われていたこと自体に気づきもしません。つまりワイリーは、そもそもロードランナーを捉えようとしなければひどい目にあいません。これは主人公のエディパが、元をたどれば自分の意志によって色々な陰謀?や面倒にとらわれているという本作のポストモダン小説的構造と重なります。
P102L14「ぼくは三十五歳にもなるんだ」
ムーチョの年齢、ここに書いてありましたね。前回「ムーチョは恐らく20代後半から30代前半と思われますが、これは60年代アメリカにおいては非常に微妙なお年ごろです」とか書いちゃいましたが。
P108L1「ぼくはプラネタリウムの映写機だ」
プラネタリウムもやっぱり、ドイツ人の発明です。そしてここでもまた、実物よりそれを映す・反映する物が重要であるとか、主体より関係性のほうが重要だとかいうポストモダン文学が好んで取り扱うテーマが現れています。この前後あたりの演劇論も、本作のテーマに関連して非常に重要なものですので注意してください。
P113L2「あとの一時間は株主と代理人と会社の役員がヨーヨーダイン合唱会を催した」
P113L15「これにつづいて社長のクレイトン(通称「ブラディ」)・チクリッツ氏みずからの指揮、「オーラ・リー」の節で――」
オーラ・リーは、南北戦争時代に作られた、アメリカ人なら誰でも知っている民謡です。それを解注にあるように、プレスリーがラブ・ミー・テンダー(56年)として編曲し曲を乗せたものを歌ったことによりこの少し前の時期に世界的に知られるようになりました。当然当時の読者は、このシーンでエルビスを思い浮かべるはずです。しかしエルビス自身は、当初映画のために用意されたこの歌を気に入らずバカにしていたということも知られています。また、エルビス自身ドイツ系ユダヤ人とインディアンの血を引いています。その上ロックの神様であるエルビスはデビュー以来人種問題や教育問題の渦中にあり、現代の我々には想像もできないほどに、PTAや白人保守層、宗教団体、警察、軍などからの激しい攻撃を受け続けました。その意味で彼は、60年代アメリカの社会問題の象徴と言うことも出来ます。蛇足ながら、エルビスと結婚し離婚したプリシラ・プレスリーは現在も存命ですが、奇しくも前回触れたドラマ「ダラス」における好演が有名です。
それ以外にもオーラ・リーは様々な編曲や替え歌などが存在しており、ここにも「本物」「偽物」や「オリジナル」「コピー」の構図が登場します。
またこれに続くチクリッツ社長による歌詞は、ヨーヨーダインの暗黒の軍需産業としての側面(本音)を表しており、逆にその前の株主らが合唱した歌詞は、ヨーヨーダインの夢の未来産業としての側面(建前)を表しています。
これまた蛇足ですが、この時期に放映されていた国民的SFドラマ「スタートレック」は、後のシリーズでヨーヨーダイン社を軍艦造船業社として作品中に登場させています。
音楽に詳しくない僕はロックといえば反戦・平和をイメージしてしまうため、オーラ・リー、というよりラブ・ミー・テンダーがこのようなタカ派丸出しの替え歌のネタ元に選ばれた背景がよく分からなかったので調べてみたら、どうも65年にエルビスがビートルズとロスで会見した際のスキャンダルが原因のようです。この際ジョン・レノンは、エルビスのベトナム戦争支持などの政治的立場に反発し、「エルビスのレコードは一枚も持っていない」と言って場を凍りつかせたそうです。この事件を機に、エルビス=タカ派、ビートルズ=ハト派というイメージが定着したため本作のような描写になったのだと思われます。
更に、オーラ・リーの発音に近い単語としてオーラリー(Orrery)というものがありますが、これは18世紀頃に作られた、機械じかけの太陽系模型を指します。そしてその製作者の一人に、トマス・トンピョン(Thomas Tompion)という職人がいます。
続く…か?
トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び5
http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3431
- コメント
- NAKAMIYAさんの解説を読んでいると、また再読しようという気になります。ぜひ続きを!
-
- みちこ
- 2012/02/06 1:13 AM
- みちこさん。お読み頂いてありがとうございます。
単にオタク気質丸出しで趣味的に謎解きしているだけの記事ですが、お役に立てれば幸いです。 -
- 中宮崇
- 2012/02/06 7:05 PM
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