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    • 2014.08.26 Tuesday
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    これからの「遊び」の話をしよう2 ネットとパチンコがカラオケを変える

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      これからの「遊び」の話をしよう1 構造主義もどきの見地から
      の続き。
      http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3459

      反省会です。クラブデビューについてはまぁ言わずもがななので後回しにして、その後のカラオケ会について。

      ○当日のお品書き

      見事なまでに全曲アニソン。別にアニソン以外に歌える曲がないわけではないが、布教を兼ねている。上から、歌った順番。

      ・Magia(魔法少女まどか☆マギカED。ダークファンタジー・タイムループもの。作詞・作曲・編曲 - 梶浦由記 / 歌 - Kalafina)
      http://www.youtube.com/watch?v=EczMtXIk7aA
      http://www.nicovideo.jp/watch/sm14369492(ニコニコ動画見られる人はこっちのほうが音質上)

      ・Blood teller(未来日記ED。サスペンスホラー・タイムループもの。作詞 - 畑亜貴 / 作曲・編曲 - 中山真斗 / 歌 - 飛蘭)
      http://www.youtube.com/watch?v=m6rKxc1b3Ts

      ・刻司ル十二ノ盟約(Steins;Gate・シュタインズゲートED。SF・タイムループもの。作詞 - 志倉千代丸 / 作曲・編曲 - 林達志 / 歌 - ファンタズム(FES cv.榊原ゆい))
      http://www.youtube.com/watch?v=D2GbY6DouVw

      ・水の星へ愛をこめて(機動戦士ΖガンダムOP。SF・ロボットもの。作詞:売野雅勇、作曲:ニール・セダカ、編曲:馬飼野康二、歌:森口博子)
      http://www.youtube.com/watch?v=-WT4TaNmidI&feature=related

      ・奈落の花(ひぐらしのなく頃に解OP。サスペンスホラー・タイムループもの。作詞 - 島みやえい子 / 作曲 - 中沢伴行 / 編曲 - 中沢伴行、尾崎武士 / 歌 - 島みやえい子)
      http://www.youtube.com/watch?v=FOPAR6tSbvs

      キモオタ路線どストレートの王道メニューである。分析は後半で。

      ○カラオケ文化破壊者としてのネット

      クラブ閉店後、05:00ぐらいから08:00までカラオケに連れていってもらったわけだが、考えてみればカラオケで歌うのも大学院時代以来のはずだから、15年近く間が空いていることになる。
      誤解のないように予め言っておくと、歌うのが嫌いなわけではない。むしろ大好きである。今でも家では仕事中や風呂中などは大抵でかい声でアカペラで歌っているし、場合によっては音源をネットで落としてそれに合わせて歌っていたりする。あくまで、他人に下手な歌を聞かせるのがおぞましいから連れ立って歌いに行くということがないだけである。
      そんなわけで、最近でこそ「一人カラオケ」なる行動が認知されているが、「一人でカラオケ?馬鹿なの?死ぬの?」と差別されるのが当たり前であった15年以上昔の90年代なかばぐらいまでは、結構一人でカラオケボックスに通っていたものである。そうしたカラオケ通いが終わった原因は、やはりネットにある。

      90年代中頃はまだ、ネットはオタクやギークやマニアのものであり、一般人には「メール」とか「ホームページ」といった言葉さえもまだ普及していなかった。そもそもインターネット自体よりもまだパソコン通信が勢力を誇っていたような時代である。Amazon(2000〜)や2ちゃんねる(1999〜)さえ存在しなかったし、ニコニコ動画(2006〜)やユーチューブ(2005〜)なんてまだSF的空想でさえなかったような時代だ。今でこそ、音楽なんてもんは各種ネットサービスを利用すればごく普通の一般人でも簡単に手に入れることが出来る良い時代になったが、当時はまだそこまで便利にはなっていない。しかし、それなりのネットスキルがあれば、音源を含む各種ファイルは自在に入手可能な時代でもあったし、その意味においてはネット・IT技術による文化革命が始まった時期でもあった。当然ながら、通うのに時間も手間も費用もかかるカラオケボックスよりも、家にいたままパソコンの前でいつでも自由にしかも低コストで歌うことを選ぶのは、自分のようなオタッキーにとっては自然の流れと言える。こうした変化が僕以外にも全世界的に発生しているとすれば、その経済的・社会的影響は前回触れた変化同様、社会の存立に関わる重大なものなのかも知れない。

      ○危機管理の欠如

      3.11の時も9.11の時も、更にさかのぼって阪神大震災やオウム地下鉄サリン事件の時も、偉そうに危機管理の欠如を唱えていたもんだが、こんな身近なことについての危機管理ができてませんでした(;´Д‘)。
      前述の通り、基本的に大学院卒業以降は「他人と連れ立って歌う」ということを全く想定していなかったため、そういうハメに陥った場合の準備を少しもしていなかった。何を歌うかという選曲もしていなかったし、当然歌の練習もしていなかったんで、まぁいろんな意味で当日は残念な結果に(ノ_・。)。
      繰り返すように、「他人に聴かせるための練習」はしてなくても、家では(そして歩いているときや風呂に入っているときなども)頻繁に何かをアカペラで歌っている。場合によっては、PCで録音して聞いてみたりもする。そして

      「か〜〜っ、うめぇな〜オレ〜」

      とか一人でキモく悦に入っている。
      ところが、たまにカラオケ音源を落としてそれに合わせて歌い、録音して聞きなおしてみると、これが酷い酷い。アカペラと聞き比べるともうお話にならない。原因は、流れる曲のリズムと音階に中途半端に合わせようとしている点にある。
      脳トレブームの少し前から言われだしたことだが、アカペラは前頭前野を活発化する効果がある。一方でカラオケにはそのような効果はない。そんなこともあるため、ますますアカペラで自分だけ楽しむだけで、カラオケの練習どころか備えさえも全く怠ってきた。その結果、歌自体も残念な結果になったわけだが、それ以外にも様々な問題が噴出した。その中でも最も深刻だったのが、「そもそも曲名がわからないため機械に入力できない」という笑える問題である。例えば「魔法少女まどか☆マギカのエンディング曲」というふうに認識はしていても、曲名は知らずに一人で歌詞もうろ覚えで歌っていたりするのである。
      「一人でしか読書をしない」場合の問題というのは、比較的よく指摘される。例えば、読んでいる漢字が読めなくても意味だけ理解しているとそのまま飛ばしてしまうため、いつまでも正確に読めないままになったりする。人名などもそうで、何度も目にしているにもかかわらず正確に読みがわかっていないことがある。実際この前読書会関連でアーティストの「村上隆」が話題になった時も、「むらかみりゅう」と言ってしまい、「むらかみたかし」と訂正された(「遊び」に伴うコミュニケーションにはこうした学習機能も存在する点が重要なのだということを再度指摘しておく)。
      読書が一人で行う行為ではなく、大勢で行う場合がメインあった時代においては、このような問題は現代ほどには発生しなかった。なぜなら、読み聞かせるためには当然「黙読」ではなく「音読」がデフォルトとなるからである。黙読でなら読めない漢字は読めないまま読み飛ばすことができるが、音読だとそんなことはできない。
      かつて読書に起きたのと同じような変化が「歌う」という行為についても恐らく起きつつある。今週のニュースでも、カラオケ屋が正式に一人カラオケブースを用意したとか報じられていたので、歌が「大勢で歌い聴かせ合う」ものから「一人だけで楽しむ」ものに大きくシフトしつつあることは間違いない。そして「一人だけで楽しむ」時代にはそもそも人々は、一人カラオケ屋なんぞに行くよりも、僕同様家で歌うことが多くなるに違いない。
      で、一人で歌う場合には、大勢と歌う場合と違い、歌詞を正確に覚えないまま歌い続ける人間が増加するのではないだろうか。カラオケで皆で歌う場合であれば、事前に正確に歌詞を覚えておこうというインセンティブが働くし、たとえ覚えていなくても歌詞がカラオケの画面に表示されるから、皆と歌いに行く回数をこなせば自然に歌詞を覚えていくことになるだろう。しかし自家発電の場合、そんな強制的なインセンティブも学習の機会も存在しないため、いつまでも自分の好きなように、歌詞をうろ覚えのまま歌い続ける人間が多くなるだろう。僕の場合は歌詞どころか、曲名さえうろ覚えであったため、今回のような有事に現場で選曲するはめに陥った場合に慌てることになったわけだが。実際、4番目の曲「水の星へ愛をこめて」は次の「奈落の花」の曲名がとっさに思い思い出せなかったため、緊急避難的に入力したものだ。後でスマホで曲名をググれたからよかったものの、そうでなければ「もってけ!セーラーふく」(らき☆すたOP)を歌うというさらなる羞恥プレイが…。いや、ネタ的にはそっちのほうが良かったのかも知れないけど。

      ○選曲に見る日本アニメの変化

      5曲全てが、アニオタであれば当然見ていて然るべき、一般教養どころか一般常識アニメの曲なわけだが(そしてZガンダム以外は、非オタ一般人に対してもオレ様的「絶対見とけ!」の4品なわけだが)、そのうち4曲が、以前ここでも批判したタイムループものである(「今年(昨年)のまとめ3 2011年アニメが危険と思うこのごろ その2」)。そして3曲は昨年のアニメであり(魔法少女まどか☆マギカ、未来日記、シュタインズ・ゲート)、しかもそのすベてがOPではなくEDである。
      よく言われるように昨年2011年のアニメは大豊作であったわけだが、それ以外にもタイムループものが異常に多く、またED曲がかつて無いほど高品質だったという点にも特徴がある。自分について振り返ってみても、これまでのアニオタ歴において、これほどまでにOPよりもEDの曲を好んだ年は未だかつてなかった。さらに言えば、3曲とも非常にメッセージ性が強く、作品についてかなりのネタバレになっている(だからこそまどマギのMagiaは、衝撃の第3話までEDとしては流されなかったし、ブルーレイ・DVD版においてはわざわざ、1、2話用に「詐欺ED」まで用意している)。つまり、どの曲もその作品の世界観を理解した上で(言い換えると、理解に必要な時間的余裕とその費用を確保した上で)作られたということになる。これは、アニメに投入される資金がこれまでよりかなり潤沢になってきていることを示唆している(そのかなりの部分が恐らくパチンコマネーである)。
      アニメは手塚治虫の負の遺産としてもよく語られるように、これまでは非常に低予算で製作される3K職場の代表格であった。ところが昨今の、アニメのパチンコ化の流れとそれに伴う資金流入により、どうもその傾向が変わりつつあるようだ。一般論として予算的にはOPよりもEDの方が不遇なはずであるし、これまでのアニメにおいても作品の脚本さえ無い時期にEDがやっつけ仕事で作られるなんてことは日常茶飯事であった。それどころか、ED自体、いやOPでさえ未完成なんていうひどい例さえある。昨年魔法少女まどか☆マギカという革命的作品を世に送り出した新房昭之監督でさえも、その手のエピソードには事欠かない。ところが二三年前あたりから、そうした状況が激的に改善されてきているように思える。その結果と言っても良いと思うが、アニソンがオリコンチャート上位に食い込んだりすることも近年多くなってきている。
      パチンコマネーの流入については僕自身感情的・政治的な反発があるし、実際、駄作の乱発によるアニメ全体の品質低下とそれによる顧客離れという、かつてゲーム業界などが何度も経験してきた歴史を振り返れば色々と危惧もあるのだが、悪い変化ばかりではないんだな〜ってなことを、今回の羞恥プレイをきっかけに考えてみた。

      それはそうとして、次なる危機に備えて選曲と練習しとこ…。とりあえずもってけ!セーラーふくの踊りを。
      http://www.youtube.com/watch?v=73O7tATQ8og&feature=related

      続く。

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