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ライティング倶楽部第五回(正式には第四回)はドキッ!野郎だらけのポエミー回

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    4/8のライティング倶楽部第4回は、リアル参加8名、作品のみのエア参加2名。そして由々しきことに、今回初めて、男子数が女子数を上回った。第0回なんて男子は2人だけだったのによヽ(`Д´)ノ
    前回作幸福のカタチ(お題:おくりもの)はピンチョンを若干意識したけど、今回はオーソドックスな物語にした。あえて言えば、月曜会でこの前やった三島由紀夫「金閣寺」や谷崎潤一郎「春琴抄」のような一人称小説を意識している。
    これまで同様執筆時間は2時間程度だが、当日に書いちゃういつもと違って今回は、3/14のシネマテーブル課題映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を見た直後に影響されて書き上げちゃった。この映画は311で父を亡くした少年を主人公とする家族の絆を描いたものだが、それをきっかけに、家族愛とかなんとかちょっと考えさせられたんで書いちゃった。41歳にして独身でオタク街道まっしぐらの僕は、今回書いたようなことはよく妄想している。

    夢轍(お題:春の夜の夢)
    https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-wfwlrvuokgmk7eaqoonohfmtka-1001&uniqid=5aee1dc3-b3a0-47a2-9284-f4f270a13788&viewtype=detail

    まずタイトル。今回もパクリです。元は名作フルCGアニメ「機動戦士ガンダム MS IGLOO -黙示録0079-」の主題歌のタイトルです。

    MS IGLOO-夢轍〜ユメワダチ〜
    http://www.youtube.com/watch?v=7ewH3ojZNgw

    タイトルにこれを選んだ意味は色々あります。一番大きいのは、世代を重ねた人々の人生が轍のように連続性を伴って続いているってな感じでしょうか。

    内容を見てみると、ぱっと見いい話に見えるが、実は父と娘の間の会話も、娘(ばーちゃん)と孫の間の会話もちょっとおかしい。ずれている。特に、よく考えると父は相当にフリーダムだ(何しろ自分自身がモデルなんで)。娘がこれから朝練だって時に、いきなりテンション下げまくりの話をぶっちゃけてしまっている。おまけに、父本人としてはなんか良い話をしているつもりっぽいが、最後の「奇蹟」の下りって、あんま関係なくね?母子の関係をなんとかしたいなら、もっと陳腐だがわかりやすいお説教があるはずだ。ぶっちゃけこの男、ちょっとこのシチュエーションに酔っているところがある。娘が当時どう感じたかはあえて描写していないが、「こーのオヤジ何いってんだ?」と思っても不思議はない。
    孫も孫でこの男の血を色濃く引いてしまっちゃったのか、負けず劣らずフリーダムである。ばーちゃんがいい話をしてくれているのに、質問は「で、おばーちゃん朝練は間に合ったの?」である。突っ込みどころそこかよ!将来に相当不安を感じさせられる。バカ父とバカ孫のサンドイッチにされて娘テラカワイソス(;´Д‘)
    しかし、これらのようなコミュニケーションの齟齬がありながらもそれでもなんとなく理解しあえてつながっているのが家族なんじゃないかと思う。何でもかんでも理詰めで話が通じて論理的に会話や議論が成り立つことが必要なのは、もっとパブリックな場に於いての話であって、家族ってのはそういうものとは違うんじゃなかろうか。雰囲気としてなんとなく通じてしまっているってのはよくある話だろう。この点に関しては他にも本作では例えば娘は「お父さんもトースト食べる?」とか聞いて父も「ああ……」と答えているにもかかわらず、娘は新たにトーストを焼こうとしていない。日本語としては客観的に見て肯定の応答になっているのに、その後の父の行動と普段の関係性からそれが実は「トーストは要らないよ、ちゃんとしたもの作ってあげるから」という否定の意味になっているのだということを娘も理解しているのである。
    ばーちゃんにしたって、このぶっちゃけ話に当時は「オヤジ、ザケンナ!」と思った可能性もあるが(無論勘違いして「おとーさん素敵!」とか思ってくれた可能性もある)、何十年もの時を経て老境に到り孫を慰めるにあたり当時を振り返ってみた時、また別の想いが湧き出てきたのかもしれない。それが人生ってもんだ。なにせ本ごときでさえ、ガキの頃読んだ時の印象と成長してから読んだ時の印象は異なるのだから、ましてや家族に対しての印象なんてもんは子どもの頃と自分が大人になってからとは違って当然である。
    あと、最後の「奇蹟」のくだりは、科学や哲学によく出てくる「人間原理」のお話の一ヴァージョンがネタ。「涼宮ハルヒの憂鬱」にも出てくるんで、少年少女にとっては案外いまさらな話だったりする。何しろこの男の娘なんで、実はネタ元もバレバレで腹の中で、「とーちゃん、ラノベの読みすぎ!」とか呆れていたかもしれない。

    で、ダメ出し。
    1つ目。シチュエーションが我ながらオタクっぽくてCLANNADっぽくてキモイ。父娘の関係って日本では普通「お父さんのパンツと一緒に洗わないでよ!」ってな感じだろうから、この話はちょっと理想化され過ぎのように思う。その点は一番気になっていたんで参加者に訊いてみたら、「特に妙な点はない」ということだったが、同じ話を父と息子で書き直せって言われたら、ちょっと書けそうもない。
    2つ目。今回はいつもと違い、朗読することが前提とされていたので、他のメンバーはそれを意識して、朗読向けの作品に仕上げていることが多かった。しかし僕はあえてそれを無視して、いつも同様朗読を意識せずに書いた。が、やっぱり三者が入れ替わり立ち代わり登場する作品を素人が読み上げるってのは、ちょっと無理があった気がする。
    3つ目。文体についてはちょっと迷って、実は最初は、ばーちゃんの一人語りにする予定だったのを、「夢」というお題を考慮して、父娘の会話シーンを夢想・回想として挿入する形にした。しかしあんまりうまく行っていない気がする。
    4つ目。父→ばーちゃん→ばーちゃんの娘(未登場)→ばーちゃんの孫のつながりを明確にするために、ラストで「きっと私のかわいい娘は許してくれますよ」なんてセリフを入れちゃったのがちょっとわざとらしすぎた。もっと自然な形でそうしたつながりを意識させられるようにできなかったか。我ながら表現力の未熟さを感じる。
    5つ目。トーストなんてハイカラなもんを食べていることからもわかるように、この物語は「現代」についての回想を数十年後の「未来」に行なっていることになっている。つまりばーちゃんが孫にお話ししてあげているのは、恐らく2050年とか60年とかだ。これにより読者に対して、これからあなた達自身が子孫を育み命を紡いでいくのだという当事者意識を与えたかったのだが、これもうまいこと伝わっていないように思う。
    6つ目。基本的にばーちゃんの主観に基づいた話なので、月曜会でやった三島由紀夫「金閣寺」とか谷崎潤一郎「春琴抄」のような一人称小説同様、書いてあることがそのまま事実であるとは限らない。ウソや思い込みだったりする可能性もある。その辺りのところも表現したつもりなのだがこれもうまく行っていない。

    あと、いつも他の参加者に、僕が書いた作品だってことが極力バレないように気をつけて書いていて一人悦に入るのだが、今回はいつもと違って最初から作者名が発表される形式だったのがちょっと残念。

    今回の作品の傾向。朗読があったせいか詩が増えたね。あとやっぱり、桜をモチーフにした作品が多かった。

         論文 エッセイ 物語 マンガ 詩
    第一回   1   7    5   0  0
    第二回   0   3    7   1  1
    第三回   0   2    8   0  2
    第四回   0   2    11   0  1
    第五回   0   1    6   0  3

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      • 2017.08.14 Monday
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      • 20:40
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