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マーチン・ファン・クレフェルト「補給戦」(中公文庫)覚書2
- 2012.08.09 Thursday
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- by 中宮崇
前回http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3630の続き。
P153L10「リストの見解によれば、「移動スピードが早くなるほど防禦側に有利になる」。その理由は「防禦側は攻撃側に合わせてその移動を決めなければならない」からであった。それゆえに鉄道網がよく発達すれば、大国の防禦力は「最高水準」まで高まり、リストなどの見解によれば遂には戦争することが全くできなくなり、平和が地上を支配するであろうというのだ――こうした予測は、戦争の新しい手段が出現するのに伴って現れやすいが、いずれにせよ常に期待外れにならざるをえない予言の中の一つである」
機関銃が登場した時と核兵器が登場した時にも同じように「これで戦争はなくなり平和になる」と言われたのが有名です。現実は、まぁ言うまでもありません。
P192L12「補給軽視のシュリーフェン」
出ました。いよいよシュリーフェン・プランです。再度言いますが、軍事学上常識レベルの作戦なので、Wikiって覚えておきましょう。
P236L5「モルトケはこの点の改善に力を尽くした」
このモルトケさんは「小モルトケ」で、既出の「大モルトケ」は伯父さんにあたります。一般的に小モルトケの評価は、すんばらしい天才的なシュリーフェン・プランを手直しして改悪したためにドイツを敗北に導いたあほたれ、と言ったものです。クレフェルトはそうした評価は不当なものだと批判します。
P243L9「ヒットラーが再軍備に乗り出した1933年から1939年の間に、ドイツ自動車産業の能力は、陸軍に必要な規模の装備を与えるには全く不十分なことが判明した。戦争前夜使用可能な103個師団のうち、16箇の装甲師団、自動車化師団、「軽」装甲師団が完全自動車化され」
16個師団以外は完全に、徒歩とお馬さんでの移動です。ヒトラーのドイツ軍は一般的なイメージとして、戦車や装甲車で完全機械化・自動車化されていた「電撃戦」のプロフェッショナル!って感じだと思いますが、実のところほとんどは第一次大戦型の足で歩く部隊に過ぎませんでした。大戦当初にフランスを「電撃戦」でたちまち打ち負かしてしまったために「ドイツの戦車はせかいいちー!」ってイメージがありますが、戦車の数も質もフランス軍のほうが上であったことがその後の研究で知られています。ドイツの勝因の一つは、戦車を全部隊にばらばらに配備した(当然戦車の速度は一緒に歩く歩兵の速度に制限される)フランスに対して、戦車や装甲車、トラックなどの高速車両を16個の精鋭部隊に集中配備し、徒歩部隊では対応不可能な高速で移動させることを可能にした点にあります。
このあたりを詳しく知りたい人は、以前軍事読書会でやった、
レン・デイトン「電撃戦」(ハヤカワ文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6-%E6%96%B0%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AC%E3%83%B3-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4150501858
がわかりやすいでしょう。
ちなみに「師団」の規模ですが、国や時代によって大きく開きがあるため一概に言えませんが、例えば現代では、陸上自衛隊は一個師団6千人で13個師団(正確には師団以外に旅団とかも混じっていますが)、アメリカ陸軍は一個師団2万人で10個師団(+州兵10個師団)です。
大体一個師団は5千〜2万人で構成される、最小規模の部隊運用単位です(国によっては旅団とか連隊とかの場合もあるけど)。
陸軍における「師団」以外の部隊編成についてですが、これまた国や時代によって違ってきますが、大体以下の様な感じになります。
軍集団(数個軍) ※本書では「集団軍」と訳されていますが、「軍集団」の方が一般的な訳です。
軍(数個軍団)
軍団(数個師団)
師団(数個連隊)
連隊・旅団(数個大隊)
大隊(数個中隊)
中隊(数個小隊)
小隊(数個分隊)
分隊(数個班)
班(数人)
下のリンクあたりも軍事学上は基本知識なので参考になさってください。
Wiki 兵科記号 (北大西洋条約機構)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E7%A7%91%E8%A8%98%E5%8F%B7_(%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%A9%9F%E6%A7%8B)
P244L12「1939〜40年の冬と1940〜41年の冬の二度にわたって、各部隊や補給部隊の自動車数は一部減少せざるをえなかった。しかも1940〜41年の冬までの間に、88箇師団物ドイツ軍――全軍の約40パーセント――が、フランス軍からの鹵獲物資でで装備を受けていたにもかかわらず、こうしたことが起こったのである」
当時のドイツ軍は、開戦当初から「鹵獲」兵器や物資が頼りでした。前述の精鋭「16箇の装甲師団」でさえ、ドイツ純正の戦車や装甲車、車両だけでは足りず、併合したオーストリアやチェコスロバキアから鹵獲した戦車を装備していたりしました。これらの鹵獲兵器・物資がなければ、ドイツはフランス戦さえまともに戦えなかっただろうとの評価もあります。
その後もドイツは敗戦まで、連合国からの鹵獲兵器・物資を積極的に利用し続けます。ロンメルもイギリス軍から奪った兵器や物資を積極的に活用したことで有名です。
ちなみにこうした鹵獲兵器の利用はドイツ軍に限ったことではなく、旧日本軍も太平洋戦争中に、アメリカ軍から鹵獲した戦闘機で戦ったりしていますし、日露戦争や日清戦争でも鹵獲した敵戦闘艦をそのまま海軍に編入してしまったりしています。
クレフェルトの母国であるイスラエルは、第二次大戦後の建国当初から現代まで鹵獲兵器の有効利用に定評があります。
P247L8「このことが左翼に対するヒットラーの不安を呼び起こし、遂にダンケルク直前で戦車部隊を停止させる一因になったわけである」
「ダンケルク」は戦史上一般常識レベルの地名です。英仏海峡沿いのフランス領の港町です。また以下の経緯から、「大敗北」とか「撤退」「敗走」とかいう意味の名詞として使われることもあります。
フランス戦においてドイツ軍装甲部隊は「電撃戦」によりヒットラーさえも信じられないスピードでフランス領を駆け抜け、英仏連合軍を撃破・包囲・(後方に)放置し大勝利を飾りました。生き残った英仏軍はダンケルクに何とか落ち延び、海路イギリスへの脱出を図ります。イギリスは軍艦やフェリーから漁船、ヨットまで動員し、空襲により船舶に大損害を受けながらも多くの兵士を撤退させることに成功します。一般に、もしこの撤退が失敗し兵士たちが捕虜になっていたら、イギリスはその後の戦争を戦い続けることはできなかっただろうと言われています。そしてこの撤退を成功に導いた最大の原因は、ヒットラーが謎の攻撃中止命令を出し、ダンケルクへの総攻撃を禁止したためためだと考えられています。中止命令の理由は色々言われていますが、貴重な戦車部隊への損害を恐れた、イギリスとの早期講和を望んでいたため屈辱的な敗北を与えることを避けた、など様々な説があります。
P266L6「フォン・マンシュタインの第56軍団」
軍事学上ナポレオンに匹敵する常識レベルの名将です。名前だけは覚えておきましょう。最も有名なのは、対フランス戦における当初の計画案だったシュリーフェン・プランに反対し、「マンシュタインプラン」(軍事学上常識レベルの作戦です)を提案し採用させた功績です。これもWikiっておきましょう。簡単に言うと、シュリーフェン・プランがベルギー経由で北からパリに向かい南西方面に攻め上る作戦であり、マンシュタイン・プランは北のベルギー方面は(また第一次大戦の時のシュリーフェン・プランで攻めて来やがった!ばーか!と思わせるための)陽動攻撃で、本命はフランス中央部のアルデンヌの森を主力の装甲部隊が駆け抜けて北西方面にドーバー海峡を目指し、ベルギー方面にえっちらおっちら徒歩速度で集まってくるであろう連合軍をパリから切り離してまるごと包囲してしまおう、ってな感じです。
P279L13「右翼に配されたグーデリアン指揮下の」
「グデーリアン」と表記されることもある、これまた軍事学上ナポレオンに匹敵する常識レベルの名将です。新兵器の戦車や航空機等を有効に連携使用する「電撃戦」(これも軍事学上常識レベルの用語なので、余裕があればWikiっておきましょう)ドクトリンを、ほとんど一人でドイツ軍に定着させ、ナチスドイツを勝利に導いた人です。
「電撃戦」は現在に至るまで、各先進国における主要ドクトリンとされており、湾岸戦争やイラク戦争におけるアメリカ軍も、基本的にはこのドクトリンに基づく「エアランドバトル」ドクトリンを採用し完全勝利を収めました。
また皮肉なことに、ナチスにひどい目にあったユダヤ人の国家でありクレフェルトの母国でもあるイスラエルは、第一次〜第四次中東戦争をこの電撃戦ドクトリンを元に戦いぬき勝利を収めています。
簡単に言うと「電撃戦」とは、(損害が出るし進撃速度も遅くなるので)敵部隊と戦い直接撃破することを目的とするのではなく、可能な限り敵部隊を避けて戦車や爆撃機でタイムリーに抵抗を排除しながら後方に高速で回りこみ、敵部隊や敵政府の戦闘意欲を喪失させることを目的とする思想です。
続くhttp://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3634
P153L10「リストの見解によれば、「移動スピードが早くなるほど防禦側に有利になる」。その理由は「防禦側は攻撃側に合わせてその移動を決めなければならない」からであった。それゆえに鉄道網がよく発達すれば、大国の防禦力は「最高水準」まで高まり、リストなどの見解によれば遂には戦争することが全くできなくなり、平和が地上を支配するであろうというのだ――こうした予測は、戦争の新しい手段が出現するのに伴って現れやすいが、いずれにせよ常に期待外れにならざるをえない予言の中の一つである」
機関銃が登場した時と核兵器が登場した時にも同じように「これで戦争はなくなり平和になる」と言われたのが有名です。現実は、まぁ言うまでもありません。
P192L12「補給軽視のシュリーフェン」
出ました。いよいよシュリーフェン・プランです。再度言いますが、軍事学上常識レベルの作戦なので、Wikiって覚えておきましょう。
P236L5「モルトケはこの点の改善に力を尽くした」
このモルトケさんは「小モルトケ」で、既出の「大モルトケ」は伯父さんにあたります。一般的に小モルトケの評価は、すんばらしい天才的なシュリーフェン・プランを手直しして改悪したためにドイツを敗北に導いたあほたれ、と言ったものです。クレフェルトはそうした評価は不当なものだと批判します。
P243L9「ヒットラーが再軍備に乗り出した1933年から1939年の間に、ドイツ自動車産業の能力は、陸軍に必要な規模の装備を与えるには全く不十分なことが判明した。戦争前夜使用可能な103個師団のうち、16箇の装甲師団、自動車化師団、「軽」装甲師団が完全自動車化され」
16個師団以外は完全に、徒歩とお馬さんでの移動です。ヒトラーのドイツ軍は一般的なイメージとして、戦車や装甲車で完全機械化・自動車化されていた「電撃戦」のプロフェッショナル!って感じだと思いますが、実のところほとんどは第一次大戦型の足で歩く部隊に過ぎませんでした。大戦当初にフランスを「電撃戦」でたちまち打ち負かしてしまったために「ドイツの戦車はせかいいちー!」ってイメージがありますが、戦車の数も質もフランス軍のほうが上であったことがその後の研究で知られています。ドイツの勝因の一つは、戦車を全部隊にばらばらに配備した(当然戦車の速度は一緒に歩く歩兵の速度に制限される)フランスに対して、戦車や装甲車、トラックなどの高速車両を16個の精鋭部隊に集中配備し、徒歩部隊では対応不可能な高速で移動させることを可能にした点にあります。
このあたりを詳しく知りたい人は、以前軍事読書会でやった、
レン・デイトン「電撃戦」(ハヤカワ文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6-%E6%96%B0%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AC%E3%83%B3-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4150501858
がわかりやすいでしょう。
ちなみに「師団」の規模ですが、国や時代によって大きく開きがあるため一概に言えませんが、例えば現代では、陸上自衛隊は一個師団6千人で13個師団(正確には師団以外に旅団とかも混じっていますが)、アメリカ陸軍は一個師団2万人で10個師団(+州兵10個師団)です。
大体一個師団は5千〜2万人で構成される、最小規模の部隊運用単位です(国によっては旅団とか連隊とかの場合もあるけど)。
陸軍における「師団」以外の部隊編成についてですが、これまた国や時代によって違ってきますが、大体以下の様な感じになります。
軍集団(数個軍) ※本書では「集団軍」と訳されていますが、「軍集団」の方が一般的な訳です。
軍(数個軍団)
軍団(数個師団)
師団(数個連隊)
連隊・旅団(数個大隊)
大隊(数個中隊)
中隊(数個小隊)
小隊(数個分隊)
分隊(数個班)
班(数人)
下のリンクあたりも軍事学上は基本知識なので参考になさってください。
Wiki 兵科記号 (北大西洋条約機構)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E7%A7%91%E8%A8%98%E5%8F%B7_(%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%A9%9F%E6%A7%8B)
P244L12「1939〜40年の冬と1940〜41年の冬の二度にわたって、各部隊や補給部隊の自動車数は一部減少せざるをえなかった。しかも1940〜41年の冬までの間に、88箇師団物ドイツ軍――全軍の約40パーセント――が、フランス軍からの鹵獲物資でで装備を受けていたにもかかわらず、こうしたことが起こったのである」
当時のドイツ軍は、開戦当初から「鹵獲」兵器や物資が頼りでした。前述の精鋭「16箇の装甲師団」でさえ、ドイツ純正の戦車や装甲車、車両だけでは足りず、併合したオーストリアやチェコスロバキアから鹵獲した戦車を装備していたりしました。これらの鹵獲兵器・物資がなければ、ドイツはフランス戦さえまともに戦えなかっただろうとの評価もあります。
その後もドイツは敗戦まで、連合国からの鹵獲兵器・物資を積極的に利用し続けます。ロンメルもイギリス軍から奪った兵器や物資を積極的に活用したことで有名です。
ちなみにこうした鹵獲兵器の利用はドイツ軍に限ったことではなく、旧日本軍も太平洋戦争中に、アメリカ軍から鹵獲した戦闘機で戦ったりしていますし、日露戦争や日清戦争でも鹵獲した敵戦闘艦をそのまま海軍に編入してしまったりしています。
クレフェルトの母国であるイスラエルは、第二次大戦後の建国当初から現代まで鹵獲兵器の有効利用に定評があります。
P247L8「このことが左翼に対するヒットラーの不安を呼び起こし、遂にダンケルク直前で戦車部隊を停止させる一因になったわけである」
「ダンケルク」は戦史上一般常識レベルの地名です。英仏海峡沿いのフランス領の港町です。また以下の経緯から、「大敗北」とか「撤退」「敗走」とかいう意味の名詞として使われることもあります。
フランス戦においてドイツ軍装甲部隊は「電撃戦」によりヒットラーさえも信じられないスピードでフランス領を駆け抜け、英仏連合軍を撃破・包囲・(後方に)放置し大勝利を飾りました。生き残った英仏軍はダンケルクに何とか落ち延び、海路イギリスへの脱出を図ります。イギリスは軍艦やフェリーから漁船、ヨットまで動員し、空襲により船舶に大損害を受けながらも多くの兵士を撤退させることに成功します。一般に、もしこの撤退が失敗し兵士たちが捕虜になっていたら、イギリスはその後の戦争を戦い続けることはできなかっただろうと言われています。そしてこの撤退を成功に導いた最大の原因は、ヒットラーが謎の攻撃中止命令を出し、ダンケルクへの総攻撃を禁止したためためだと考えられています。中止命令の理由は色々言われていますが、貴重な戦車部隊への損害を恐れた、イギリスとの早期講和を望んでいたため屈辱的な敗北を与えることを避けた、など様々な説があります。
P266L6「フォン・マンシュタインの第56軍団」
軍事学上ナポレオンに匹敵する常識レベルの名将です。名前だけは覚えておきましょう。最も有名なのは、対フランス戦における当初の計画案だったシュリーフェン・プランに反対し、「マンシュタインプラン」(軍事学上常識レベルの作戦です)を提案し採用させた功績です。これもWikiっておきましょう。簡単に言うと、シュリーフェン・プランがベルギー経由で北からパリに向かい南西方面に攻め上る作戦であり、マンシュタイン・プランは北のベルギー方面は(また第一次大戦の時のシュリーフェン・プランで攻めて来やがった!ばーか!と思わせるための)陽動攻撃で、本命はフランス中央部のアルデンヌの森を主力の装甲部隊が駆け抜けて北西方面にドーバー海峡を目指し、ベルギー方面にえっちらおっちら徒歩速度で集まってくるであろう連合軍をパリから切り離してまるごと包囲してしまおう、ってな感じです。
P279L13「右翼に配されたグーデリアン指揮下の」
「グデーリアン」と表記されることもある、これまた軍事学上ナポレオンに匹敵する常識レベルの名将です。新兵器の戦車や航空機等を有効に連携使用する「電撃戦」(これも軍事学上常識レベルの用語なので、余裕があればWikiっておきましょう)ドクトリンを、ほとんど一人でドイツ軍に定着させ、ナチスドイツを勝利に導いた人です。
「電撃戦」は現在に至るまで、各先進国における主要ドクトリンとされており、湾岸戦争やイラク戦争におけるアメリカ軍も、基本的にはこのドクトリンに基づく「エアランドバトル」ドクトリンを採用し完全勝利を収めました。
また皮肉なことに、ナチスにひどい目にあったユダヤ人の国家でありクレフェルトの母国でもあるイスラエルは、第一次〜第四次中東戦争をこの電撃戦ドクトリンを元に戦いぬき勝利を収めています。
簡単に言うと「電撃戦」とは、(損害が出るし進撃速度も遅くなるので)敵部隊と戦い直接撃破することを目的とするのではなく、可能な限り敵部隊を避けて戦車や爆撃機でタイムリーに抵抗を排除しながら後方に高速で回りこみ、敵部隊や敵政府の戦闘意欲を喪失させることを目的とする思想です。
続くhttp://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3634
- コメント
- ありがとうございまーす(^-^)/
唸りながら読んでたのでw助かります。 -
- B.B
- 2012/08/10 10:04 AM
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