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    「正論」9月号 反原発デモと読書会

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      一ヶ月経ち10月号が出たんで公開。
      本当は「デモと読書会と私」という、どこぞの歌謡曲みたいなタイトルにしていたのだけど、編集に変えられました(´・ω・`)
      ゲラの前の段階の原稿なので、掲載されたものと微妙に違います。特に、読書会にも課題本著者として参加して下さった國分功一郎氏に触れた部分が削られちゃったのは残念。

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       最近、ツイッターにこんな投稿をした。「#5年前の自分に言っても信じて貰えないこと‬ 女の子たちとツアーに参加したり週末ごとにバーに飲みに行ったりお花見に行ったりカラオケ行ったりしてるよ」
       今年42歳になる私だが、小学生の頃からつい数年前まで、ろくに外に遊びに出ることもなく一日中家にこもって読書・テレビ・ネットの毎日のまさに引きこもりそのものの生活を送っていた。外に飲みに行くだのましてや女の子とどこかに遊びに行くだのといったことはまさに想像の埒外であった。そんな私を今や「リア充」とまでからかわれるほどに変えてしまったのは、日本最大級のとある読書会である。06年にほんの数人で発足したこの会は、インターネットなどの口コミで拡大を続け、今や五千人を超える会員を抱えており、毎回100人近い男女が一堂に会し、時には著者をゲストに迎えながら予め読んできた一冊の漱石やニーチェについてわいわいと感想を言い合う。
       団塊の世代辺りの人々にとって、読書会のイメージは、口うるさいサヨクが仕切り、いい年してろくに仕事もしていないようなむさ苦しい活動家や読書オタクの男どもが集まり、口汚く相手の主張を否定しあう場、といったようなものになっているのではなかろうが。実際読書が人生の私も、その手の読書会は相当見てきたが、この会はそうした既存の読書会とはかなり異質の存在だ。何と言ったらよいか、全員地に足がついているのだ。ヘタをすると40歳未満の比較的若い女性参加者の方が多くなる参加者は、そのほとんど全員が何らかの職を持つ、アフター5の仕事人だ。世間の荒波に揉まれているせいか誰もが他者の異見を尊重する。本の知識ばかりに通じて空理空論を振りかざし周囲をうんざりさせるような、サヨク系読書会によく見られる御仁は居ない。みんな良い意味でオトナなのだ。そのためもあってか、もはや会はただの読書会にとどまらず、家庭や仕事場や地域コミュニティと並ぶ生活の場として発展しつつある。そこで知り合った人々は読書の枠を超えて、気の合う仲間同士共に美術館に通い映画を鑑賞しカラオケに出かけバーに集い、中には結婚に至るカップルも出てくる。
       欧米の歴史において、クラブやサロンの存在が民主主義の発展に大きく寄与してきたことはよく知られている。そこで人々は、教養を身につけ交流の輪を広げ、結果的に社会の発展に寄与することになった。残念ながら、日本においてはそのようなサロン文化は、インターネットが普及するつい最近までは活発ではなかった。これまで日本においては、特に地域コミュニティの崩壊が進んだ近年では家庭と仕事場のみが生活の場であった。それ以外の場はサヨク労働組合だのカルト教団だの過激派組織ぐらいしか無く、そうした事情が我が国の政治的未成熟さに大きく寄与してきたのではないか。
       ところで、先日20万人を動員したことでも話題になった、官邸前反原発デモも読書会同様、インターネットの存在無しには語れない現象だ。しかし両者の間には決定的な差がある。先日読書会にゲストとして来て頂いた哲学者の國分功一郎は今回のデモをフランスでのそれと比較し、「お祭り騒ぎ」の積極的効用を唱えている。確かにフランスではそうなのだろう。だが今回のデモは、戦後延々と続いてきた既存サヨク組織による、正義を笠に着た病的な「自分探し」暴動の延長線に過ぎない。実際、デモを支持したり中核となっているのは、長年に渡り北朝鮮や支那等とつるんでバリバリの反日活動を行なってきたような連中であるし、参加者を20万ととんでもない水増しをしたり、子供までバリケードとして平気で利用し異論を封じ非賛同者を「愚民」と嘲り敵視し自分たちを「意識の高い正義の使徒」とでも勘違いしているとしか思えない醜悪で暴力的な選民主義は、サヨクウォッチャーの私にとっては見慣れたありふれた症状である。ネットやデモでの彼らの言動を観察すれば、偉そうに他人に正義を押し付けるこの連中が、家族や仕事場や地域コミュニティを何ら省みていないことは明らかだ。フランスのデモに、そのような参加者が一体どれだけいるであろうか?デモにも肯定的な社会学者小熊英二はかつて「新しい歴史教科書をつくる会」等を「不安と空虚さを抱えながら、いわば束の間の解放感と安定感を求め」る「“癒し”のナショナリズム」と批判したが、そうした物言いはむしろ、今回のデモにこそ当てはまるだろう。家庭さえも顧みず正義を振りかざし他者を蔑視することで自らの選民意識を満足させ即時の「革命」を求める連中のデモと、人との繋がりを底辺から地道に積み上げていくサロン運動と、どちらがより我が国の民主主義の発展に寄与するかは、歴史を紐解くまでもなく子供の目にも明らかではなかろうか。



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