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    • 2019.07.22 Monday
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    反日マンガの世界(晋遊舎)雁屋哲「美味しんぼ」批判記事(最後)

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      (続き)

      さらには、対馬を韓国領だと主張して大量にやってくる韓国人たちの横暴さに辟易している対馬住民の声はどこ吹く風で、「こういうものを韓国からの観光客に食べてもらうことで、日韓友好は深まることだろう」などと、大衆の都合などそっちのけでいつものエリート主義的お花畑な見解を開陳して自己満足に浸っているのである。
      しかし、かつて「馬鹿どもに車を与えるなっ!!」などとあからさまに大衆を見下していた雄山が、大衆蔑視という基本は変わらぬまでも、日韓友好だの国際友好だのを語るようにまでなったとは、随分丸くなったものだ。もっとも、雁屋自身は一向に丸くなどなってはいないところかますますエリート意識を肥大させているようにしか見えないが。
      ところで、太平洋戦争当時、原爆開発を行なっていた連合国に対して、日本は風船爆弾なるものを作って対抗していたわけであるが、コンニャクと和紙で作ったこの珍奇な兵器の方が、原爆などよりよほどグルメ漫画の題材としても、もはや自分を神と勘違いしているとしか思えない雁屋による最後の抵抗のこっけいさを表す上でもふさわしいものに思えるのだがいかがなものか。
      そんな雁屋であるが、最近益々、自らへの過信と情報の軽視によって破滅した日本軍のごとき様相を呈しつつある。今年2月に公式ブログを開設し、過去の美味しんぼのストーリーについて検索が出来るようにしたのであるが、早くもそこが、一部の雁屋ウォッチャーにとっての遊び場になりつつある。例えば「韓国」や「朝鮮」「オーストラリア」などのキーワードで検索してみると、それぞれ26件、20件、49件が引っかかり、アメリカだのヨーロッパ諸国だのは一ケタ台しかヒットしない。いや、実はアメリカという国名であれば54件もヒットするのであるが、その内容たるや、アメリカのフライドチキンは不味いだの、アメリカでも豆腐が流行しているだの、果ては鯨に反対するアメリカは差別主義だ、BSE牛肉を押し付けるのはけしからんだのといった、「アメリカのグルメ」とは無縁なただのアメリカ批判ばかり。国際交流を声高に唱える雁屋の興味が実は、サヨク好みの国々に限定された非常に狭い視野に基づいたものであるという事実を暴露するものであるが、それ以外にも今後、様々な遊び方が発見されることだろう。雁屋を初めとして、サヨクは一般に、ネットというものを毛嫌いすること甚だしい。選ばれた優秀な民である自分達だけが持つべき「言論の自由」というものが、愚かな大衆の誰にでも許されているという事実に我慢できないからである。そんな雁屋が、大衆を啓蒙するという傲慢な意図から開設したのであろうこのブログが、自らが裸の王様に過ぎないことを周知させる道具にしかなっていないことに気づくのはいつのことになるかわからない。サヨクな人々が無邪気にブログや掲示板を開設しては、自らの独善的なタワゴトを批判する愚かな大衆からの意見ばかりが寄せられることに怒り狂い、気に入らない書き込みを次々と粛清した挙げ句に、サイト自体を閉鎖して「言論の自由」を封殺してしまうのは、極めて頻繁に見られる光景である。雁屋がどのように自らのブログを運営していくのかは、目が離せないところだ。
       こんなギャグ漫画「美味しんぼ」とその作者に失笑することを楽しみにしている人間としては、さらに20年は連載が続いてくれることを期待しているのだが、不勉強な雁屋の妄言を鵜呑みにして、赤ん坊をアレルギーで死なせてしまう親が出てくるとしたらそれはそれで心苦しい所ではある。

       

      反日マンガの世界(晋遊舎)雁屋哲「美味しんぼ」批判記事(続きの続き)

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        (続き)

        自己の絶対化は、当然、他の権威の否定に繋がる。一神教がいかに他の宗教を冷酷無比に弾圧してきたかは、歴史の知るところであるが、自己を一般大衆より上の高見に置いて憚らない、引っ越しおばさん並みに病的なサヨクな人々にも、このはた迷惑な行動パターンは共通している。美味しんぼにおいてもそうした病理は数多く見られるが、代表的なのが、第68巻収録の「東大病を治す!?」である。
         このエピソードには、日本の福祉を変えるには厚生省に入るしかない、そのために東大を目ざしていると言う、なんとも感心な学生が登場する。しかし、日本を変える為にロクに東大に入る努力もせず、「平和!人権!」と口先だけで唱えるしか能がない怠惰なくせにエリート主義のサヨクな人々にとっては、実に目障りな学生であろう。実際、雁屋は主人公の山岡の口を借りて、彼をこう批判するのだ。
        「最近の東大法学部出の官僚のひどさときたら、目を覆うものがあるね。厚生省、日銀、大蔵省、軒並み浅ましい行為を尽くしている」
        「ひとつの学部で、これだけ国に害を及ぼす人間を次々に出す学部は、世界中で東大法学部だけだ。こんな学部は廃部にすべきだよ。少なくとも東大法学部出身者は、官僚として採用すべきじゃないよ」
        相方の栗田ゆう子も、調子に乗ってこう相槌を打つ。
        経済力だけで世界に認められてた日本の経済をがたがたにしたのは、東大法学部出の大蔵官僚が、国際的にはまったく通用しない無能な連中の集まりだった証拠でしょう」
         なるほど、こういう考え方をするような連中だから、権力を握るとスターリンのような虐殺者になるわけだ。大体、東大法学部を廃止にして例えば京大から官僚を採用するようになれば、それで問題は解決するのだろうか。今度は京大出身者が「厚生省、日銀、大蔵省」で「軒並み浅ましい行為を尽く」すことになるであろう事は、常人の頭脳さえ持っていれば容易に分かりそうなことでであるが、実際に移住して裏切られるまで「オーストラリアは地上の楽園」と思い込んでいたようなお粗末な頭脳しかお持ちでない雁屋には、その程度のことにも思い至らないのかもしれない。しかし実は、これまで述べてきたようなサヨク連中の病理を鑑みると、思い至っているにもかかわらずわざとこのような馬鹿な主張をしている可能性の方が大きいのだ。要するに、彼らは、エリートである東大法学部が羨ましいだけなのだ。彼らに代わって自分達が、エリート官僚になりたいだけなのだ。だからこそ、官僚主義や学歴社会の歪みを否定するのではなく、自分より上にいて邪魔をしている東大法学部のみを否定するのである。「あいつらジャマクセー。ヤツラみんないなくなっちまえばオレタチがエリートになれるのにヨー」というのが、彼らサヨクの本音なのである。そうした浅ましい腐臭を隠す香水が、「平和」や「人権」などという高尚なお題目と言うわけだ。実際雁屋自身も、東大教養学部を卒業後電通に就職し漫画原作者となったという経歴の持ち主なのであるが、東大法学部や、政治家・評論家のような「他人の権力」を批判しつつ、自らの権力が寄って立つ東大全体や広告業界、漫画家を批判することはないという点は、彼が気に入らないのは権力一般ではなく、あくまでも自分の手に入らない権力に過ぎないのだということを示唆している。
         そんな、自分を中心に世界が動いていると信じ込んでいるサヨクな人々にとっては、人類や生物の代弁をするなどお手の物だ。彼らが極めて頻繁に、「国民」だの「地球人」だのを勝手に「代表」して憚らないことが、その事実を証明している。
         最近も、柳沢伯夫厚生労働相による「女性は産む機械」との発言に対して、社民党の辻元清美が「私は全ての女性を代表して大臣の辞任を求めます」などと詰め寄っていたが、秘書給与をネコババしながら北朝鮮の拉致犯罪に加担してきたような人物が厚顔無恥にも全女性の代表気取りでいられところに、サヨクという病理の深刻さ窺える。雁屋自身の病理はさらに深刻で、人間どころか何と、ムツゴロウの代弁までしてしまっている。それは、「ムツゴロウがあの世で呆れる政争」(『現代』1997年8月号)でのことだ。
        「おいら、ムツゴロウ。と言ったって、三週間前に死んでしまったんで、今のおいらはムツゴロウの幽霊だ」
        と始まるこの文は、雁屋が美味しんぼの中でも批判していた諫早湾干潟事業についてのものである。公共事業を批判するのは良い。しかし、その手段として、勝手に人物や動物を代弁する破廉恥さは、サヨク以外ではせいぜいイタコかオカルト宗教家ぐらいにしか見られない現象であると言う事実にもう少し思いをめぐらせる事ができるのであれば、彼らサヨクな人々の病状も少しは改善されるのであろうが。
         雁屋は他にも、第3巻収録「肉の旨味」の中で肉の心情まで代弁し、上手にステーキとして焼いてもらった牛肉に「ふっふっ幸せな肉だよ、こんなに上手に焼いてもらえて」と生産者が笑いかける姿を描いているが、死んだペット向けのイタコ商売でも始めれば成功するかもしれない
         ところで、北朝鮮やオウム真理教のような、自己中と凶暴性の結びついた集団が、我が国のサヨク人士たちと非常に類似性に富むだけでなく実際の人的交流も広く見られる上、同じようにギャグ的な存在として余人の失笑を買っていると言う事実は、もう少し注目されるべきことであろう。それと関係しているか定かではないが、美味しんぼにも、まるでオウム真理教の布教アニメ並みの奇怪なエピソードが存在している。
         例えば、第6巻収録の「日本のコンソメ」では、超能力者を大礼賛している。栗田ゆう子は「クリス・ヴォーンさんの超能力を説明できたらノーベル賞ね」との馬鹿まるだしの発言に、山岡は「それ以上だよ」と相槌を打つ。そればかりかご丁寧にも、その超能力者と手をつないでカツオブシ工場やら料理屋やらをテレポーテーションしてまわって見せるのである。大の大人向けのグルメ漫画としては、反日サヨク的な主張並みに唐突な感を拭い得ないし、どう考えてもここで超能力者やテレポーテーションなどを登場させる必要性があるようには思えない。船で北朝鮮などに出かけるサヨク団体ピースボートなどは、船内での大麻使用が批判されることが多々あるし、沖縄出身の国会議員で元サヨク運動家の喜納昌吉は麻薬の使用による逮捕歴もあり、サヨクの間においては薬物使用が極めて目立つのであるが、このエピソードのぶっ飛び振りにも薬物の影を見るのはうがち過ぎであろうか。サヨク思想に染まっても、サヨクが大好きなドラッグにまで染まるのはできれば避けていただきたいものだ。もっとも、イタコとして超能力に造詣が深いらしい雁屋の頭の中では、常人には理解し得ない彼なりの整合性があるのかもしれない。
         自己絶対視は過信を招くことは、歴史の教えるところである。かつて旧日本軍も、自らへの過信からミッドウェー海戦などの重要な戦いで敗北し、凋落の一途を辿った。当然雁屋のようなサヨクな人々も、過信にかけては常人に負けることはない。その結果、勉強不足と傲慢な妄言のコラボは、彼らサヨク人士に常に付きまとう腐臭の一つとなっている。特に反日・親中朝の言動においてはその傾向が顕著である。例えば、第91巻収録「”焼き”の深さ」においては山岡が、「いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっとアジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと」と発言しているが、これなどは、インターネット上などでアマチュアであるはずの一般人たちから、「イギリスが中国に与えた文化って阿片以外に何かあるの?」「だいたい植民地にならなくても、日本は外国の文化を取り入れてきたけど」「中国って日本のアニメやブランドをどんどん違法にぱくってるよね」「なんでアジアのことを中国人にしか聞かないの?」などと簡単に突っ込まれてしまう有り様である。自己を絶対視するサヨクな雁屋はそのことがよほど疎ましいらしく、自らの不明を恥じるどころか、第91巻収録の「“究極”で名誉挽回」では栗田に「まあ!インターネットの書き込みを真に受けたんですか」と言わせ、牽制している。かつて「自由な言論」の手段を、朝日新聞などのようなサヨク勢力が独占していた頃ならともかく、現在のようにネットが発達した結果、雁屋が愚かな大衆として見下すところの人々が、サヨクの稚拙なタワゴトなどには容易に騙されなくなっているのであるが、それに気づかないのか目を閉じているだけなのか、雁屋は旧時代のサヨク全盛期にのみ通用したサヨク的おとぎ話に未だにしがみついているのだから、哀れとしか言いようがない。
         このように、自らの無謬性を信じて疑わない雁屋も、2000年に発表された「はじめての卵」の回では、さすがに自らの失策を認めないわけにはいかず、後に謝罪文を公開している。これは、幼児の離乳食として取り上げた半熟卵や蜂蜜が、アレルギーなどの観点から幼児には危険な場合があるにもかかわらず美味しんぼの中で扱ったことが批判の対象となったものであり、その結果単行本には未収録となっている。ところが雁屋はこれについても、謝罪とは名ばかりで、「20年前に問題のなかったものが今は危ないものになっていることを見逃したのは私の失策でした」と、これまたオーストラリアに対する態度同様、「自分は悪くない、環境が変わったせいだ」との言い逃れに終始している。
        しかも雁屋は、これについて2000年10月19日の週刊文春のインタビューに対し、美味しんぼに寄せられる様々な抗議に対しては「今までは連戦連勝でした」などと答えている。客観的に見ればどう見たって分が悪い主張が数多くそれゆえネットの一般人にさえ簡単に反論されてしまっているにもかかわらず、ご当人自身はそうは思っておられないようである。そこには、日本軍が開戦直後破竹の勢いで連合軍を撃破し調子に乗って行き、やがて破局を迎えた姿がそのまま重なって見える。雁屋は今、勢いに乗る余り自らの作品を政治プロパガンダに利用し、他の漫画家の妨害までするという得意の絶頂にある。
        そんな雁屋であるが最新刊の第98巻では、一巻まるごとを「日本全県味巡り“長崎編”」と題した上で、海原雄山はついに原爆という最終兵器まで持ち出してきてしまった。それも「一般市民を狙ってのこのような残虐行為はどんな言いわけも通じない人道に反する犯罪だ」と雄山が断じると、他の登場人物たちも「アメリカの言いわけは醜悪だな」「いまだに反省も謝罪もしてないよ」と付和雷同し、相場成金の京極さんにいたっては「日本人は、絶対に核兵器に手を出したらあかん」と、北朝鮮の核保有に対する日本の対応を妨害しようとしているとしか思えないメガトン級に失笑物の主張まで行なっている。
        そればかりではない。さらに雄山は「最近、日本では平和と国際友好をきちんと論じる声が聞こえず、逆に、日本を再び戦争をする国に変えようとする動きが高まっている」などと、もはやグルメ漫画のグの字も見いだせないサヨク丸出しの主張語り、欧米の反捕鯨運動を「非科学的な思い込みや反日感情を駆り立てて捕鯨を悪と決めつけている」と断じる一方で、南北朝鮮による「非科学的な思い込みや反日感情」には目をつぶり、秀吉の「朝鮮侵略」を持ち出して韓国人に対する「差別」を批判するのだ。さらには、対馬を韓国領だと主張して大量にやってくる韓国人たちの横暴さに辟易している対馬住民の声はどこ吹く風で、「こういうものを韓国からの観光客に食べてもらうことで、

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          マッキントッシュという優れたシステムがあることを知らないばかりに大勢の人間がコンピュータで苦労しているのが二十世紀の悲劇のひとつなんだけど、藤村さんもその一人ってことさ」
          「そんなもの使う奴はマゾヒストだね、だからあれはMS-DOSじゃなくて、SM-DOSってんだ!」
           このあまりにも幼稚なタワゴトを読まされて、「馬鹿にするな!」と憤るウィンドウズユーザーがどれほどいるだろうか。「高価なマックを買って舞い上がった素人が馬鹿言ってるよ」と失笑するのが精々だろう。その意味で、やはりこれはギャグ漫画以外の何物でもない。少なくとも、グルメ漫画とは言えない事は確かである。
           雁屋はマッキントッシュが偉くお気に入りのようで、美味しんぼの執筆にも大いに役立てているようである。ところで不思議なことに、雁屋に限らずマッキントッシュのユーザーにはウインドウズユーザーに対する差別意識や優越感を持つものが極めて多い。今時5万円も出せばそれなりのものが購入できるウインドウズマシンに対し、マッキントッシュは安くても十数万はする。ましてや、このエピソードが描かれた1996年は、その価格差はさらに大きなものであり、マッキントッシュは「金持ちやプロの道楽」であった。そんな中で、安価なウインドウズマシンは「貧者の味方」であったのだ。ところが雁屋は、庶民でも使えるリーズナブルなウインドウズマシンを「まともな美的感覚があったら使えたもんじゃない!」と一刀両断するのだ。
           こうした、エリート意識から庶民を断罪して悦に入る傲慢さ、実は美味しんぼの全エピソードにわたって広く見られる態度である。農薬まみれの安米を食べる庶民、混じり物だらけの安酒を楽しむ庶民を「日本の酒飲みって最低ね」(第4巻「酒の効用」)、「つくづく日本の酒飲みがなさけなくなったね……」(第18巻「ドライビールの秘密<前編>」)、「日本の酒飲みも地に落ちたものさ」(第18巻「ドライビールの秘密<後編>」)などと馬鹿にし、挙げ句の果ては、そうした馬鹿な消費者のせいで日本の食文化が破壊され、自分達のような高級志向本物志向の人間たちまで迷惑を被っているとまで極言する姿勢に疑問を感じたことのある読者は少なくあるまい。第14巻収録の「椀方試験<前編>」では、海原雄山が「なんという混み方だ!必要もない連中が車に乗るからだ!!」「馬鹿どもに車を与えるなっ!!」と交通渋滞にまで憤っているが、普通なら海原の傲慢さを際立たせるための作為的なセリフに過ぎないと理解すべきところだが、案外大衆蔑視の雁屋がうっかり本音を語ってしまったのかもしれない。それはさておき、これらのような単純で思いあがった主張に呆れかえり失笑する読者も多かったことだろう。そこには、食品添加物や農薬などの使用が食料の大量生産と低価格化、全国隅々への流通を可能にしたという視点はまったくない。最近、「スローライフ・スローフード」や「ロハス」などの主張が、筑紫哲也などを初めとするブルジョアサヨクによって声高に主張されている。そりゃ、億単位の稼ぎのある雁屋や筑紫のようなブルジョアなら、混じり物だらけの安価なソーセージやビールを買う必要は無いのかもしれないが、一般大衆にとっては、高価で雁屋にしか手の届かない「本物のビール」だけが存在する世の中よりは、まがい物ではあっても口にする事ができる選択肢が存在する現状の方が好ましいに決まっている。彼らお花畑的共産主義による「自然保護」や「本物志向」は、資本主義の恩恵を最大限享受しながらそうしたことには目をつぶり食品の質より低価格を選ぶ大衆を蔑視することによって自らの尊大なエリート意識を満足させる麻薬に過ぎないのだ。雁屋は美味しんぼの中でもしきりに化学調味料や食品添加物を批判しているが、このような習慣性のある優越感こそが、雁屋のようなブルジョアサヨクによるグルメ趣味にとっての最高の調味料なのかもしれない。
           そうした麻薬中毒者的なズレた感覚を持つサヨクな人々が集結している場の一つとして上げられるのが、筑紫哲也が編集委員を務める雑誌『週刊金曜日』である。詳しくは別に触れるが、そこで雁屋がかつて連載していた、保守思想批判のプロパガンダ漫画「蝙蝠を撃て!」の中でも、なぜかパワーマックが登場し、保守論客情報などをそこから引き出しているのだが、こうした「オレさまはウインドウズマシンではなく、マッキントッシュを使っているんだぞ!」という幼稚な自己顕示欲は、雁屋のようなサヨクな人々の特性を読み解く上での重要な点である。その裏には、どす黒いエリート意識と大衆蔑視が隠されている事は先に触れた通りであるが、実際その事実を示すように、週刊金曜日でも極めて頻繁に「衆愚」という言葉が出現する。彼らサヨクな人々にとって、石原都知事を選んだ都民は「衆愚」であり、小泉総理と自民党に政権を委ねる日本国民は「衆愚」なのである。
           ところで、伝統的にサヨク勢力大衆というものを自分達より下等な存在であるとみなし、漫画という表現手段を、文章を理解するのが困難な大衆を啓蒙するためのものとして位置づけてきた。週刊金曜日にせよ朝日新聞にせよ赤旗にせよ、そうした「啓蒙漫画」に溢れている。それは、文章表現より一段下の下等な表現手段であり、かつてバブル期にベストセラーとなった石ノ森章太郎「マンガ日本経済入門」(日本経済新聞社)と本質的にはなにも変わらない、「絵解き入門物」に過ぎない。考えてみれば、美味しんぼが文章ではなく漫画でなければならない必然性は、「馬鹿にでも分かる」という点以外は何一つ存在しないのだ。美味しんぼの読者は、この作品をどう読み解いてきたかを自問してみると良い。山岡と海原雄山の愛憎劇に注目しているのか。栗田ゆう子との恋愛劇が気になっているのか。そうではなく、あくまでもグルメトリビアに注目して読んでいたはずだ。それなのに最近は特に、食べ物に怒り食べ物で和解する幼稚な登場人物の数々や、無節操な反日的言動に白人差別、カルト的自然保護など、そうした稚拙な描写が増えており、さすがに飽き飽きして「山岡と栗田の結婚以降は読むのを止めた」という読者は多いのではないだろうか。ましてや、毎回ラストに富井副部長を初めとする登場人物によってお約束のように繰り返されるすべりまくったギャグなど、読み飛ばしてしまっている読者が殆んどだろう。あれなども雁屋自身は、劣った大衆に高尚な理念を理解させるための助けとなるハイセンスなギャグであるとでも確信しきっているに違いない。雁屋が大衆蔑視のあまり漫画という表現手段で啓蒙活動をしようと漫画原作者の道に進んだのかどうかは定かではない。しかし、漫画で思想や社会問題を描くことによって90年代に一世を風靡した小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』に触発されて漫画「蝙蝠を撃て!」の連載を始めたことを鑑みれば、雁屋の腹黒さを読み取る事はそう難しいことではあるまい。もっとも、主人公である自らを相対化し大衆と同じ目線から自らの主張を発して問題に切り込んだ小林と異なり、自らを高みに置いたまま自らの口では主張せずに登場人物の口を借りるという逃げを打っていい加減なプロパガンダを垂れ流し、大衆を啓蒙しようという身も蓋もない傲慢さに無自覚なまま、小林のスタイルを形だけ真似してしまっただけでなく、そこに読者が辟易しているということにまるで気がつかずに結局連載打ち切りに追い込まれてしまったところが、雁屋のようなサヨク人士の病の深刻なところである。
           さて、このような根拠の無き病的なエリート意識が、サヨクな人々に共通した症状である以上、彼らが唱える「反戦・平和」「人権・反差別」などといった一見高尚な理念は、ただのお題目であり、自らを高みに置くためのアクセサリーに過ぎない。実際彼ら反戦・反差別を唱える族が、自らと異なる価値観を持つ人々にどれだけ暴力的、差別的に振る舞ってきたかという例は、枚挙に暇がない。その際たるものが、スターリンやポル・ポトなどによる過去の、そして中国共産党や朝鮮労働党による現在進行形の虐殺や粛清である。国内を見ても、過去には「反戦・平和」を唱える過激派による敵対勢力に対する暴力事件は勿論のこと、「ウチゲバ」や「粛清」と称する仲間殺しは日常茶飯事であった。
           ところで、美味しんぼの中には、自らの権力や影響力を振りかざして横暴な要求をする人々が頻繁に登場する。第1巻の「野菜の鮮度」の回では早々と、その後純レギュラーとなる栄商流通グループ総帥の板山秀司が、自身のデパートで売られている野菜の鮮度について山岡にケチをつけられた腹いせに、東西新聞から百億を超える広告の出稿を全て
          引き揚げるという横暴さを見せ付けている。第10巻収録の「古酒(クースー)」では、文芸評論家の古吉伸一がこれまた山岡から「西洋かぶれのインテリってのも情けないぜ」と言われた腹いせに、何人もの作家や評論家に圧力をかけ、東西新聞への執筆拒否を表明させている。板山に対しては山岡は「あんたが金も力もない一匹狼だった頃、巨大な金の力と権力を振り回して得意になっている人間に対して、どんな気持ちを抱いていたか覚えていますか?」などと語っているが、実際に雁屋が各所で権力を振りかざして得意になっている例を見せ付けられると、常人であれば「お前が言うな!」と叫びたくなるところであろう。その代表例が、週刊文春05年5月26日号でも批判された、『MASTERキートン』絶版事件。である。
           『MASTERキートン』とは、柔道漫画『YAWARA!』で有名な浦沢直樹の作品なのであるが、原作者として勝鹿北星が名を連ねている。ところが、勝鹿が04年に他界した後、勝鹿と親しかった雁屋が何の権利があってか、美味しんぼの出版元である小学館に横槍を入れ、増刷を差し止め、実質的に絶版状態にしてしまっているというのである。浦沢には勿論のこと、読者にも版元にも誰にも得にならないこのような行為に雁屋を駆り立てた物が何であるかは、常人の考えの及ぶところではないが、このような人物が権力を握れば金正日顔負けの圧制者となる事は、火を見るよりも明らかであろう。
           もっとも、雁屋のようなサヨクにとって、「反戦・平和」「人権・反差別」は、自らの優越感を満たすためのただの道具であり、優越感の充足こそが最大の目的である以上、愚劣な他人が権力を振りかざすことを批判しつつ、優秀な自分が同様に権力を振りかざすことは、何の矛盾もないことなのだろう。社民党の辻元清美にも見られるように、他人の不正は「疑惑のデパート」などという低質なキャッチコピーを作り上げて攻撃し悦に入りながら、実は自分は税金ドロボウに励みつつそれがばれて「疑惑の人民公社」と追及されると「あれはワークシェアリングだ」などと強弁して言い逃れようとする卑劣さは、サヨクに一般的に見られる特徴である。このような人類離れした独善的な道徳観を持つ連中に、山岡のセリフを借りて「あんたが金も力もない一漫画原作者だった頃、巨大な金の力と権力を振り回して得意になっている売れっ子漫画家や編集者に対して、どんな気持ちを抱いていたか覚えていますか?」などと言ってやったとしても、恐らく彼らは何の痛痒も感じまい。なぜなら雁屋のような人物は、「自分は特別だから、愚劣な他人には許されないことでも自分だけには許されているのだ」と思いこんでいるに違いないからである。
          自己の絶対化は、当然、他の権威の否定に繋がる。一神教がいかに他の宗教を冷酷無比に弾圧してきたかは、歴史の知るところであるが、自己を一般大衆より上の高見に置いて憚らない、引っ越しおばさん並みに病的なサヨクな人々にも、このはた迷惑な行動パターンは共通している。

          反日マンガの世界(晋遊舎)雁屋哲「美味しんぼ」批判記事

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            雁屋哲「美味しんぼ」が「原発の放射能で鼻血出たニダ!」とか描いちゃって叩かれているようなんで、いやいや、美味しんぼがおかしいのなんて大昔からですよってことでオラが07年出版「反日マンガの世界」(晋遊舎)に寄稿した記事をあげとく。
            完成稿じゃなくゲラ前の下書きなんで、文の繋がりがおかしかったり誤字脱字があるのはご容赦。



             近年、グルメ漫『美味しんぼ』が何かおかしくなっていると思っている読者は多いに違いない。
             1985年に単行本の第1巻が出てから既に20年以上も続いてきたこの自称「グルメ漫画」は、低温殺菌牛乳が美味しいとか、輸入レモンは危険物質まみれであるとか、ワサビは醤油に溶かずに直接刺身につけて食べるのだとか、様々なグルメトリビアを取り上げることによって注目を集めてきたわけであるが、簡単に言ってしまえばこんな内容だ。
            「社会悪を追求する正義の使徒」を自認していると言う点で、朝日新聞をモデルにしたとしか思えない、「東西新聞」の文化部を舞台に、グータラ記者の山岡士郎と入社したての栗田ゆう子がその持ち前の味覚を見込まれ、社を挙げた一大企画「究極のメニュー」作りの担当に抜擢され、天才芸術家で美食家でもある海原雄山の「至高のメニュー」と対決する。しかしその雄山は実は、山岡の実の父だった……。
             この設定自体、なんだか巨人の星や北斗の拳などともどこか通じるような「宿命の対決」物であり良く考えると結構失笑物なのであるが、最近、この作品を「グルメ漫画」であると定義すること自体がかなりおかしいことになってきているのだ。
            例えば、第76巻収録「中華と中国」のエピソード。この話は、山岡の上司である小泉局長が中国の要人を「支那そば屋」に連れて行ってしまったことから発生したトラブルを描いている。中国の要人は「支那」という言葉を見て無礼であると怒りまくり、東西新聞社自体が未曾有の危機に見舞われる。山岡は、支那という言葉について局長に滔々と解説し、こう結論付ける。
            「最近、支那は蔑称ではないと主張して、中国を支那と公の場で呼ぶ政治家や物書きが増えてきた。幼稚で未成熟でみっともないね」
            これに対して局長も、「支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」と納得して見せるのだ。
            この余りにも中国の身勝手な言い分を鵜呑みにした主張についてはインターネット上でも失笑交じりの検証が各所で行なわれており、「支那ってもともと中国自身が使った言葉だろ」「“中華”という選民思想の言葉を使う方がおかしい」「“東シナ海“も改名させられるの?」「日本の”支那“にはケチをつけるのに欧米の”チャイナ“には何も言わないのは差別だ」などと、素人にさえ簡単に反論されてしまっているような有り様だ。そればかりではない。山岡は中松警部という警察権力まで介入させ、なんとその「支那そば」の看板を「ラーメン」の看板に替えさせてしまっているのだ。雁屋が批判してやまない朝鮮人の「創始改名」もビックリの横暴である。
            それはさておき、この「グルメ漫画」の中で、支那そば、いや、ラーメンについての解説はどれほど描かれているのかと言うと、全21ページ中、なんとたったの4ページに過ぎないのだ。しかも、その内容たるや、カンスイを使わないところやダシの取り方などが本場の中国とは違うのだという、なんともおざなりでとってつけたような印象を拭えない。むしろ、雁屋自らが信奉する中国の主張を漫画で代弁するためにラーメンをダシに使っていると見るのが妥当であろう。少なくとも、近年益々強まっているこの傾向が、グルメトリビアを作品に求めていた読者からそっぽを向かれている最大原因であることは間違いない。そりゃ、料理について描いてあると思って読んでみたら、実はただの政治プロパガンダ漫画だったとすれば、読者離れが進むのも当たり前だ。
            創始改名のついでに、雁屋の韓国に対するスタンスについても検証してみよう。第22巻収録の「韓国食試合!<3>」では、山岡一行が韓国を訪れ、日本語を話せる現地の老人と出会い、「当時の日本政府は、朝鮮、韓国人を働かせるために、強制的に日本に連行したんだよ」「それも普通の市民や農民が日常生活を行なっているところに、突然警官がやって来て、トラックに乗せて連行したりした」などと、今では完全に論破されている「強制連行」神話を吹聴している。それどころか、山岡はさらに「強制連行よりもっとひどいことを、日本は朝鮮、韓国に対してたくさんしているよ」と何ら「ひどいこと」の具体例を出さずに日本を貶めるばかりか、栗田は「日本人が過去に犯した過ちを知らないのは、世界中で日本人だけだなんて……」などと嘆いて見せるのだ。我が国では一時期「軍に強制連行された従軍慰安婦」などのサヨク謹製フィクションが歴史教科書の紙面を賑わせたことがあるが、それらの虚偽性が暴露されてからは教育の現場から消え去りつつあることは事実だ。栗田は、そのような悪質なねつ造話を教えられてしまった生徒達の不憫さこそ嘆くべきことであろう。
            また、第55巻の「韓国と日本<前編>」では、韓国人と結婚しようとして親族に反対される女性を登場させ、栗田ゆう子に「偏見や差別を、自分たちの親しい人間から取り除くことができないなら、私たち人間としての価値がないわ」などと語らせている。
            剣道やサッカーまで朝鮮の発明であるなどと主張して世界の失笑を買い、竹島のみならず対馬まで自国領土だと主張し日本漁民を数多く銃撃し殺すようなことまでしてきた韓国人たちの驚くべき暴虐さと、我が国における全外国人犯罪の大部分が韓国人によるものである(スリにいたっては9割以上)という事実を聞かされれば、どこの馬の骨とも分からぬ外国人との結婚に親族が懸念を抱くのは例え相手が韓国人以外の外国人であっても無理はないと思うのだが、身内に対するそうした自然な愛情も、雁屋にとっては許しがたい差別だというわけだ。ところで、韓国人に対する差別を批判する雁屋だが、朝鮮民族が歴史的に見て現在に至るまで、日本人を初めとする外国人に対する文明人離れした差別意識を持った得意な民族であるという事実には頬被りを決め込んでいるようだ。そればかりか、韓国人同士の間でさえも性別、地域など様々な違いを理由にした差別意識はすさまじく、特に障害児至っては人間扱いさえされず、養子縁組と称して海外に棄民されているケースも多数報告されている。03年8月2日付の朝鮮日報によるとその数は、2000年で634人だという。同年韓国国内で引き取られた障害児は18人に過ぎない。先日も「ザ・ノンフィクション」というフジテレビ系列の番組で、韓国男性の許へ嫁いだ日本人女性達の苦悩が紹介されていたが、そこで紹介された「普通の韓国人夫」は、嫁に「竹島は韓国の領土だ!」とつめより、奴隷のようにこき使い、姑にいたっては嫁の目の前で「うちの息子ほどならもの凄くいい(韓国人の)嫁が選べたのに」と嘆いてみせるという、差別云々以前に文明人にあるまじき姿が描き出されていた。このような民族と親戚となるなど、例え日本人でなくても躊躇するであろうことは間違いないと思うのだが、雁屋にとってはそうは思えないらしい。
            のみならず雁屋は、山岡に「日本の天皇家は、朝鮮とつながっていることです」と語らせ、古来日本人が、朝鮮民族のような迷惑な連中さえも寛大に受け入れて来たことを示す事実を持ってして、「韓国にはっきりと謝らなければなりませんよ」などと強弁するのだ。ちなみにこの回も、グルメについて描いているのはたったの4ページに過ぎず、「イギリス人でも牛の各部位を35種類にしか分類していないのに、韓国人は120に分類する」といった類の、読者がそれほど興味を示すとは思えないおざなりな、韓国人の牛食いトリビアを紹介するに止まり、残りの17ページは政治的プロパガンダに費やしている。もはや雁屋を「サヨク」として認定してもなんの差し支えもなかろう。このエピソードに続く後編においても、たったの4ページを使って唐辛子が日本から朝鮮半島に伝わったことと「強制連行されて来た在日一世たち」が食べた韓国料理を紹介するのみで、残りで描かれているのは「朝鮮併合」と「朝鮮語の授業を禁止」し「朝鮮人の土地を取り上げ」たこと、そして「創始改名を強行」したということなのである。
             実際、紹介した回以外にも、最近の美味しんぼにおいて特に顕著な傾向として、グルメ漫画を自認しているにもかかわらずなぜか、グルメはそっちのけで強制連行問題や差別問題など、中国や南北朝鮮が頻繁に持ち出してくる政治問題を扱い、既にねつ造や事実誤認が判明しているいい加減なサヨク的妄言を垂れ流して読者の失笑を買うという事態が頻発している。そればかりではない。雁屋は、日本は在日韓国・朝鮮人を差別する恥ずかしい国であると描くだけでは飽き足らず、差別のない「世界でも一番進んだ思想であるオーストラリアの多文化主義」(第33巻収録「魅惑の大陸<後編>」)に憧れ、なんとそのオーストラリアに移住してしまっている。しかし、かつて在日が北朝鮮を「地上の楽園」と信じて日本を後にし、過酷な末路を送ったのと同様、雁屋が「地上の楽園」と信じたオーストラリアは、原住民アボリジニーなどに対する態度を見るだけでも日本とは比べ物にならない差別がはびこる国であった。最近まで白豪主義を掲げ、そもそも建国の事情からして原住民を虐殺し土地を奪ってきたのだというこの国の歴史を考えれば、そんな事は移住するまでもなく簡単に分かりそうなことなのであるが、お花畑な脳みその持ち主である雁屋にはわからなかったらしい。しかしさすがに実際に移住してみると、アジアの有色人種である自分がオーストラリアの白人たちから差別されるという現実に嫌でも気づかざるを得なかったのか、第65巻収録の「オーストラリアの危機<中編>」ではそれまでの主張を一転させ、オーストラリアの差別主義を痛烈に批判している。雁屋はその転向の事情について、オーストラリアがかつての多文化主義から現在の差別主義に変わってしまったからであると、あくまでも原因は自分にはないと主張している。それどころかこのエピソードの中では何と、前述の、「日本人の差別にあって結婚に反対された」韓国人の口を借りてオーストラリアで差別主義が台頭しつつあるという怪しげな解説をさせた上で「とにかく今はあまり行かないほうがいいと思いますが……」とまで言わせ、日本人がオーストラリア観光に訪れることさえも危険であると主張しているのだ。外務省の海外安全情報でだってそんな危険があることが告知されたことはないのに、雁屋の脳内にだけは、渡航を差し控えるほどの危険性があるように見えるようだ。
             こうしたズレは、我が国で反日運動や環境保護運動などに走るサヨクな人々に共通したものである。かつて朝日新聞やサヨクが「地上の楽園」と喧伝してきた北朝鮮は、今やその実態が暴露されている。そのような曇った目を持っていると言うだけでも、彼らのズレは致命的なものであるのだが、そうした過去を反省することもなく、未だに親北朝鮮の運動に携わっている点などを見ると、そのズレは庶民からのズレではなく、むしろ人類の良識からのズレとでも言うべきものであるようにも見える。もっとも雁屋の場合、多数の朝鮮人を騙して金体制の地獄に突き落とし死に追いやった朝日の罪に比べれば、自身とその不幸な妻子にしか実質的な被害が及んでいないという点で、はるかにマシと言えるかもしれないが。
             さらに例を見てみよう。第59巻収録の「マルチメディアと食文化」の回で、「月賦」でパソコン「マッキントッシュ」を買った山岡が、社内のコンピュータ事業部にあるパソコンを見て「ふん。ウインドウズマシンか………」と軽蔑する。そればかりか、担当者の藤村にさらに因縁をつける。
            「その画面のダサくてみっともないこと、まともな美的感覚があったら使えたもんじゃない!」
            マッキントッシュという優れたシステムがあることを知らないばかりに大勢の人間がコンピュータで苦労し

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