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    書評:ラジスラフ・フクス「火葬人」(松籟社) ※猫町倶楽部月曜会ツアー豊崎由美回

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      【42】「火葬人」

       彼らは悪魔だったのか?
       ヨーロッパがアドルフ・ヒトラーによる災厄から逃れて70余年の歳月を経た現在でさえ、世界中の人々がそう問い続けている。
       なぜドイツ国民は彼を熱狂的に支持し、侵略、虐殺、破壊に手を貸したのか?
      「やつらは悪魔だったのさ」
       そう言い切るのことができるなら、この世界は実に単純だ。そしてこの国には、自信満々にそう断言し、彼らの言うところの「悪」を成敗する族が何と多いことか。自ら正義であることを露程も疑わぬそうした連中にとって、悪とはあたかも天から降ってきた恐怖の大王のごとき、敵対すべき外的な災厄に過ぎない。
       アニオタにとっては、そのような幼稚な世界観は既に74年の「宇宙戦艦ヤマト」によって葬り去られている。第一話で敵ガミラス人を「悪魔め!」と罵ったヤマトのクルー達は、最終的に和解よりも戦いを選んでしまった自らを恥じた。
       近年の作品ではさらに進み、11年放映の「魔法少女まどか☆マギカ」においては、悪はどこか他のところにあるのではなく、自分自身の中に存在するのだと主張するまでになる。いや、そもそも善悪という二元論さえほぼ捨て去ってしまっているのが、現在のアニメにおける潮流と言える。
       ヤマトより7年前に発表された「火葬人」は、現在の我々アニオタにとっての常識を先取りした先進的作品である
       第二次世界大戦前年の1938年、ナチスがドイツ系住民の保護を口実に隣国チェコスロバキアに圧力を加えたいわゆるズデーテン危機の頃から物語は始まる。チェコで火葬場の職員を務める善良な一市民コップフルキングルはナチスの影響が強まりやがてチェコ全土がドイツに吸収されて行くのと歩調を合わせるかのように、忠実なナチ党員としてユダヤ人虐殺に手を貸していくことになる。
       そんな彼は、不思議なことに最後まで善良である。ユダヤの血を引く妻と息子に自ら手をかけるのも、ユダヤ人である友人知人を密告するのも、邪悪さや残虐性からではなく、彼らの行く末を案じての善良さのためである。家族殺しや大量虐殺にまで手を染めることは、少なくとも善良な彼の中では何ら矛盾は存在しないのだ。
       これに対し、主人公をナチス党員に勧誘する友人ヴィリの姿に戸惑う読者は少ないだろう。ヴィリが入党した大きな理由は良い生活と名誉を得ることである。私欲のためにユダヤ人を踏み台にしたのだから、実にわかりやすい。しかしコップフルキングルは違う。彼にはそんな浅ましい欲は無い。結果はともかく少なくとも動機だけは、あくまで善良なものなのだ。そこにこの作品の不気味さがある。
       こうした不気味さ故、物語は終始ホラーじみている。「劇場版 魔法少女まどか☆まぎか[新編]叛逆の物語」でも見られたような、登場人物の全てに微妙な違和感が見られるのにすぐには何も事件が起こらない居心地の悪い展開。そしてそうした伏線がやがて破局へと繋がる。しかしそれは天から降ってきた偶然の破局ではなく、あくまでも日常の延長線上にある破局なのだ。
       善良な一市民を虐殺者にしたものは何だったのか。我々自身が同じ道を歩まぬためには何が必要なのか。現代のアニメ作品においても問われ続けているテーマについて、半世紀前に鉄のカーテンの向こうで生きた作者はいかに考えたのか思いを巡らしてみてはいかがだろう。

      想定媒体: アニメージュ

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