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    • 2017.08.14 Monday
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    トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び4

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      トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び3の続き。
      http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3402

      P74L15「メツガーはテキーラ・サワーの入った巨大な魔法瓶を持ち出してきた」

      これはちょっと勘ぐり過ぎかも知れませんが、魔法瓶は1881年、ドイツのアドルフ・フェルディナント・ヴァインホルトによって発明されたものだそうで、ここにもドイツの影が見て取れます。またテキーラ・サワーにはレモンが使用されますが、英語で「レモン」は前述の通り欠陥品を意味しており、主人公の夫で元中古車商のムーチョを揶揄しているとも取れます。
      ポストモダン的文脈からの注意点としては、メツガーは悪ガキ集団のザ・パラノイドにサンドイッチや魔法瓶の中身等を掠め取られるのを防ぐためにこの魔法瓶の上に坐って見張りをしますが(P80)、当然そんなことをしたら、せっかく持ってきた魔法瓶の中身を自分も飲めなくなる(そしてそのことにメツガー自身は気づいていない)点も重要です。巨大な富を独占しつつもそれを守ることばかりに熱中する余りその果実を味わうことにまで気が回らず生きるか、それとも、貧しき人々とその富を共に分かち合うか。当時のベトナム反戦運動などにも通じる政治・社会問題と言えます。

      P76L1「アルミ製トライマラン<ゴジラ二世>号に乗せ」

      ゴジラはアメリカでも54年と64年に上映され、当時のベトナム反戦運動の機運にも乗り、大好評をもって受け入れられます。ゴジラという怪獣が、アメリカの核実験の結果として誕生したという設定を思い起こしましょう。そしてゴジラという作品が決して悪の怪獣vs正義の人類、というそれまでの映像作品にありがちであった単純な構図ではなく、むしろ悪の人類vs被害者の怪獣、という、現代的アニメ・特撮ものの設定につながる陰を持った世界観を持っていた点も重要です。

      P77L16「<コーザ・ノストラ>の大物だよ」

      解注に書いていない重要な点。ラッキー・ルチアーノに率いられていたことで有名なこのマフィアは、第二次大戦中にイタリア・ファシスト党のムッソリーニにより大弾圧を受けメンバーの多くが収監されていました。ところが、作中でも少し触れられている連合軍によるイタリア上陸作戦に伴うイタリア降伏によって、「独裁者によって収監されている人々は自由と民主主義を信奉する善良な人々に違いない」とウブにも思い込んでいた米軍は何と「政治犯」である彼らマフィアを全て「解放」してしまいました。当然彼らは現地イタリアは勿論のこと、アメリカにまで進出し、後に映画などにもなる数々の大規模犯罪を引き起こします。作品中の60年代は、こうした「自由と民主主義を世界にもたらすアメリカの善意」により生み出されたマフィアの抗争がアメリカ中を震撼させていた時期です。

      P78L4「昔のダロウ弁護士みたいな華々しいこと」

      不思議なことに解注では「労働者のために戦った」とかスコープス裁判のこととか、お花畑的な解説しかせず無視していますが、ダロウ弁護士はこの作品においてはむしろ、レオポルド・ロープ事件の方が重要なのではないでしょうか。時期的にも、オーソン・ウェルズがダロウ弁護士役でこの事件を描いた映画「強迫/ロープ殺人事件」(Compulsion)が59年に公開されているので重なります。また少し前の48年にもヒッチコックが映画「ローブ」(Rope)を製作しています。
      事件は、豊かなユダヤ人学生でゲイのカップルでもあったレオポルド(Leopold)とロープ(Loeb)が、自らの優秀さを示すためにおもしろ半分で同じユダヤ人の友人を殺し、完全犯罪を企てたことが発端です。この完全犯罪は些細なミスで簡単に警察に見破られてしまい、その不純な動機と残虐性により世論を激昂させマスメディアの格好の材料となります。二人の弁護を引き受けたダロウは、世間の注目を利用し、12時間に及ぶ弁論で自らの死刑反対思想の宣伝を行い、思惑通りアメリカ中に論争を巻き起こします。そしてこの史上稀に見る凶悪犯を死刑から救い出すことにも成功しました。
      かつてナチにより弾圧され「弱者」として見られていたユダヤ人が、彼らを救った(とアメリカ人は考えています)アメリカにおいて、かつてない猟奇的な大犯罪を犯した上に死刑にもならなかったということで、当時のアメリカ人にとっては複雑な思いがあったと思われます。

      P79L6「圧縮発泡スチロール製のコップに酒を注いだ」

      現代の我々にとってはなんでもないシーンなので見逃してしまいますが、発泡スチロールは1950年にドイツで発明されたものなので、作品中においてはまだ十数年の歴史しかありません。つまり読者にとってこの何気ない一文は、「俺たちが打ちのめしたばかりであるはずの旧敵国で発明されたハイテク商品」というイメージが思い浮かべられることになります。

      P81L2「<ビーコンズフィールド煙草>のフィルターのこと、知ってるだろ」

      ビーコンズフィールドはアイオワ州の都市の名前ですが、元々この街の名はビクトリア期イギリスを代表するビーコンズフィールド伯ベンジャミン・ディズレーリ元総理に由来します。そして彼は、イギリスの歴代首相中唯一のユダヤ人です。彼は、大英帝国の積極的植民地政策の担い手として有名ですが、その経歴はボーア戦争とアフガン戦争の苦戦による失脚という形で終わります。これは恐らく、60年代当時のアメリカ人にとって、ベトナム戦争の苦戦と重ね合わせて想起されたと思われます。

      P83L5「ドイツの急降下爆撃機スツーカが地上掃射を意図して来るだけ」

      日本では軍オタしか知らないスツーカは、アメリカを含む連合国においては、誰でも知っている恐怖の代名詞でした。この安くて簡単な構造の画期的な爆撃機と戦車を組み合わせた「電撃戦」により、ナチスドイツはヨーロッパを席巻しました。電撃戦は勿論のこと、急降下爆撃という戦術を大々的に採用し成功したのはナチが最初です。しかしこの成功にとらわれ、アメリカが大規模に採用した戦略爆撃などの他の戦法への配慮が不足したことが、その後のヒトラー第三帝国の運命を決めます。

      P84L3「ロサンジェルスのフォレスト・ローン墓地とアメリカ人の死者崇拝熱についての噂が入っていたかもしれない」

      最近ではマイケル・ジャクソンが埋葬されたことで話題になったフォレスト・ローン墓地は、ハリウッドスターをはじめとする奇人変人が埋葬されることで有名です。
      また死者崇拝というのは恐らくブードゥー教のことを指しているのだと思いますが、アメリカにおけるブードゥー熱の凄まじさは日本人の想像を絶するものがあります。奇妙な殺人事件が起きればブードゥーの仕業、妙な落書きがされたらブードゥーの仕業、というように、多くのアメリカ人にとってブードゥーは、一定のリアリティを持った秘密組織の代表格です。日本人は「ただの夢想的なフィクションだろう」と笑い飛ばしてしまいがちですが、Xファイルを始めとして数々のドラマや映画において描かれ、少なからぬアメリカ人からはかなりの信憑性とともに受け入れられています。

      P84L13「インディアナ州フォート・ウェイン市郊外の倉庫に」

      フォート・ウェインはアメリカ独立戦争の英雄であるアンソニー・ウェイン将軍にちなんで名付けられました。ウェインの名を冠した地方自治体は両手両足の指では足りないほどですが、その中でインディアナ州フォート・ウェイン市は、直接ウェイン将軍が創設に関わった都市として「本物」と認識されています。ここでも本作の「本物」と「偽物」のせめぎあいを意識させられます。西部劇や戦争映画で当時人気があったジョン・ウェインの芸名も、ウェイン将軍の名にちなんでいます。ジョン・ウェインは後にメツガーのセリフの中にも出てきますね(P102)。
      またウェイン将軍は、独立戦争後は対インディアン戦争で活躍し、西部開拓地の治安向上に貢献しました。これにより東部と西部を結ぶ郵便網を含む通信・輸送ラインが安定的に維持されるようになりました。

      P84L17「オステオリシス社の株だけなんだ」

      オステオリシス(osteolysis)は医学用語で「骨融解」を意味します。骨炭売買にふさわしい社名でしょう。

      P85L4「先の尖ったスニーカーの美女が発言した」

      注意が必要ですが、この当時はまだ現在のようなスニーカーは普及していませんし知られていません。この美女は主人公らを覗きや盗聴で悩ます若者集団ザ・パラノイドの一員なわけですが、スニーカーとは元々、19世紀ごろにイギリスの警察で犯人に静かに忍び寄るために開発されたゴム底の消音靴を指しました。

      P87L4「もぐりのトランジスター販売店のあいだにあったが、この販売店、去年はなかったし、来年もないだろうというふうな構え、いまのところ日本製のものさえ安売りで、蒸気シャベルで掻きこむほどの大儲けだ」

      ソニーを始めとする日本製のトランジスターラジオが大量にアメリカに流入し、深刻な貿易摩擦となっていた時期です。国防上も深刻な事態だということで、アメリカは日本からのトランジスター製品の輸入を規制します。そんな規制をすり抜けて違法に日本製トランジスター製品を密輸し売るこの手のもぐり販売店が乱立し大儲けしました。そしてそのような販売店で売られる「ソニー製」の多くは、ソニー製どころか日本製でさえないような粗悪品でした。ここでもまた「本物」「偽物」が登場するわけです。

      P101L17「<ロードランナー>のマンガ映画を」

      解注の通り、当時を代表する誰もが知っている国民的漫画「ワイリーコヨーテとロードランナー(Wile E. Coyote and Road Runner)」を指しています。日本人でも40代以上なら、「ミッ!ミッ!とか鳴きながら走る鳥だよ」と言うとわかるかも知れません。作品中では西部劇や郵便制度もパロディ化されて登場します。
      作品のお約束のパターンとしては、ダチョウのような容姿で俊足のロードランナーを、コヨーテのワイリーが捉えて食ってしまおうと画策するものの、企ては多くの場合自滅的な失敗に終わるというものです。そして殆どの場合、ロードランナーはワイリーコヨーテに狙われていたこと自体に気づきもしません。つまりワイリーは、そもそもロードランナーを捉えようとしなければひどい目にあいません。これは主人公のエディパが、元をたどれば自分の意志によって色々な陰謀?や面倒にとらわれているという本作のポストモダン小説的構造と重なります。

      P102L14「ぼくは三十五歳にもなるんだ」

      ムーチョの年齢、ここに書いてありましたね。前回「ムーチョは恐らく20代後半から30代前半と思われますが、これは60年代アメリカにおいては非常に微妙なお年ごろです」とか書いちゃいましたが。

      P108L1「ぼくはプラネタリウムの映写機だ」

      プラネタリウムもやっぱり、ドイツ人の発明です。そしてここでもまた、実物よりそれを映す・反映する物が重要であるとか、主体より関係性のほうが重要だとかいうポストモダン文学が好んで取り扱うテーマが現れています。この前後あたりの演劇論も、本作のテーマに関連して非常に重要なものですので注意してください。

      P113L2「あとの一時間は株主と代理人と会社の役員がヨーヨーダイン合唱会を催した」
      P113L15「これにつづいて社長のクレイトン(通称「ブラディ」)・チクリッツ氏みずからの指揮、「オーラ・リー」の節で――」

      オーラ・リーは、南北戦争時代に作られた、アメリカ人なら誰でも知っている民謡です。それを解注にあるように、プレスリーがラブ・ミー・テンダー(56年)として編曲し曲を乗せたものを歌ったことによりこの少し前の時期に世界的に知られるようになりました。当然当時の読者は、このシーンでエルビスを思い浮かべるはずです。しかしエルビス自身は、当初映画のために用意されたこの歌を気に入らずバカにしていたということも知られています。また、エルビス自身ドイツ系ユダヤ人とインディアンの血を引いています。その上ロックの神様であるエルビスはデビュー以来人種問題や教育問題の渦中にあり、現代の我々には想像もできないほどに、PTAや白人保守層、宗教団体、警察、軍などからの激しい攻撃を受け続けました。その意味で彼は、60年代アメリカの社会問題の象徴と言うことも出来ます。蛇足ながら、エルビスと結婚し離婚したプリシラ・プレスリーは現在も存命ですが、奇しくも前回触れたドラマ「ダラス」における好演が有名です。
      それ以外にもオーラ・リーは様々な編曲や替え歌などが存在しており、ここにも「本物」「偽物」や「オリジナル」「コピー」の構図が登場します。
      またこれに続くチクリッツ社長による歌詞は、ヨーヨーダインの暗黒の軍需産業としての側面(本音)を表しており、逆にその前の株主らが合唱した歌詞は、ヨーヨーダインの夢の未来産業としての側面(建前)を表しています。
      これまた蛇足ですが、この時期に放映されていた国民的SFドラマ「スタートレック」は、後のシリーズでヨーヨーダイン社を軍艦造船業社として作品中に登場させています。
      音楽に詳しくない僕はロックといえば反戦・平和をイメージしてしまうため、オーラ・リー、というよりラブ・ミー・テンダーがこのようなタカ派丸出しの替え歌のネタ元に選ばれた背景がよく分からなかったので調べてみたら、どうも65年にエルビスがビートルズとロスで会見した際のスキャンダルが原因のようです。この際ジョン・レノンは、エルビスのベトナム戦争支持などの政治的立場に反発し、「エルビスのレコードは一枚も持っていない」と言って場を凍りつかせたそうです。この事件を機に、エルビス=タカ派、ビートルズ=ハト派というイメージが定着したため本作のような描写になったのだと思われます。
      更に、オーラ・リーの発音に近い単語としてオーラリー(Orrery)というものがありますが、これは18世紀頃に作られた、機械じかけの太陽系模型を指します。そしてその製作者の一人に、トマス・トンピョン(Thomas Tompion)という職人がいます。

      続く…か?

      トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び5
      http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3431

      トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び3

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        トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び2の続き。

        本作が本来、小難しい文学作品というよりも筒井康隆的ギャグ小説、SF・ファンタジー小説であるという点を明らかにするために、文庫版巻末の解注ではあまり注目されていないネタを追ってみようと思います。前にも触れたように、「本物」と「偽物」がせめぎ合う本作においては、ここで説明する以外にも様々な「偽物」が登場することに特に注意してください。僕が気づいていないだけで他にも色々ネタが隠されていると思うので、各自探してみましょう。特に音楽を中心とするアートの分野については暗いので、余り期待しないように。
        読み進めて頂くとわかるように、たった一つの単語や表現の裏に、「書かれていない」様々な意味や多義性が隠されています。このような意味の多様性がポストモダン小説の特徴であり、作中で登場するエントロピーや情報量などの概念にも関わっています。
        みなさんも、60年代アメリカを知る人々が本作を読んだ場合どのように感じたであろうか思いを馳せながら参考にしてみてください。

        P8L1「エディパ・マース夫人はタッパーウェア製品宣伝のためホームパーティから帰ってきたが」

        解注で触れている以外に重要な点として、アメリカではタッパーウェアは第二次大戦直後から普及し始めました。そしてその宣伝文句は「台所へ帰ろう!」でした。これは大戦中、戦争に出かけた男たちの代わりに女たちが工場や事務所などに働きに出ていたことと関係があります。これにより女性の社会進出が一挙に加速し、大草原の小さな家的な「古き良きアメリカの家庭」は急速に解体され、作品の舞台である60年代アメリカのフェミニズム運動に繋がります。そんな中で、コミュニティの再生と婦人の家庭回帰をスローガンとするタッパーウェア商法は、プラスチックという当時のハイテクのイメージと同時に、ある種のノスタルジックな古き好きアメリカのイメージと結びついた複雑な存在でありある意味イデオロギー運動でもありました。
        更に深読みすれば、タッパーの発明・創業者であるアール・タッパーは、ニューハンプシャー州の都市であるベルリンで生まれています。ナチスドイツと戦った国が、敵国の首都と同じ名前を持つ街で生まれた製品にすがって「古き好きアメリカ」への回帰を夢見ていることへの皮肉と受け取る事も出来ます。
        ついでながら主人公のマース(Maas)という名前は作中でマーズなどと言い間違えられますが、スニッカーズやM&M'sなどで知られるアメリカの一大菓子メーカーであるマース社(Mars)も良く、マーズと言い間違えられます。実際創業者の名前は綴りはマースと同じですがマーズと発音します。スニッカーズやM&M'sなどは現在でもアメリカ軍の戦闘用糧食の定番メニューですが、コカ・コーラなどと同様第二次大戦で米軍に大量納入し始めたのをきっかけに国民に広く浸透しました。第二次大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争などに従軍経験のあるアメリカ人にとっては、マースという名前は軍隊生活とアンクルサムを想起させるものなのではないでしょうか。
        更に、マーズ(Mars)は英語で火星を意味しますが、火星はローマ神話の軍神マルスの象徴でもあります。マースをマーズと発音すると、英語圏の人々は軍隊経験者でなくても何か闘いや勇ましさをイメージすることになるのかも知れません。
        元々マース(Maas)とは、フランスからオランダに流れるムーズ川とスペルが同じであり、この川は、作中でも登場する神聖ローマ帝国の国境でもありました。

        P8L11「メキシコのマサトランのホテル」

        19世紀のゴールドラッシュの時代において、ドイツから大量の移民が流入したためドイツ情緒の街並などで有名な都市です。メキシコに限らず南米全域には、古くからドイツ系移民が大量に流入しており、それが戦後の「ヒトラーはブラジルで生きていた!」などのナチ戦犯亡命説に繋がります。実際、作中にも登場するナチ高官のアイヒマンは、アルゼンチンに潜伏していたところを60年にイスラエルの諜報・工作機関であるモサドによって逮捕されます。

        P9L1「コーネル大学の図書館」

        解注では主人公とピンチョンの出身大学だとしか触れられていませんが、この有名大学の創設者エズラ・コーネルは19世紀アメリカにおける鉄道・電信ビジネスのパイオニアです。つまり物語の軸となっている反郵便運動と密接に関連しています。反郵便運動を追う主人公は実は知らないうちに、そうした運動の母体とも言える大学を出ていたのだ、なんという運命の皮肉!というわけです。

        P9L12「署名はメツガーというひとのものだ」

        メツガーというのはドイツ人によくある名前です。そして典型的アメリカ女をイメージさせる主人公が、このドイツ風男と深く関わっていくわけですが、ここでもかつての敵国ドイツを読者に意識させ皮肉を感じさせることになります。
        ちなみにこのころラドリー・メツガーという監督が映画「カルメン・ベビー」という、メツガーと主人公エディパとの関係を少々思い起こさせるようなインモラルな作品を成功させ話題になりました。また、作中にも登場するフォルクスワーゲンはナチス・ドイツ時代に開発された大衆車で戦後ブームになりアメリカ市場も席巻しましたが、その設計技師にハンス・メツガーという人がいます。

        P9L17「キナレット・アマング・ザ・パインの下町の」

        キナレットというのは、現在のイスラエルにある湖の名前でかつてはガリラヤの名で知られていました。イエス・キリストの活動の拠点としても有名であり、戦後すぐの48年に独立したイスラエルが、アラブ諸国からの侵入を退ける戦いを繰り広げた要衝としても知られています。イスラエル人やユダヤ系アメリカ人にとっては、日本人にとっての日本海海戦とか元寇の神風ぐらいに民族的な誇りと共に語られる名であり、アラブ人やパレスチナ難民にとっては忌まわしき名です。

        P10L2「ヴィヴァルディ『カズー笛協奏曲』」

        解注でも触れられているように、これは架空の曲ですがそれ以外に、カズーという楽器は黒人奴隷の象徴であもあります。50-60年代のアメリカにおいては公民権運動におけるシンボルの一つでもありました。また、カズーは別名をバズーカといい、第二次大戦中ドイツ軍の戦車を破壊するためにアメリカ軍が開発した携帯用対戦車兵器「バズーカ」の語源ともなっています。

        P10L6「コスレタスの葉をちぎったり」

        原産地は地中海にあるギリシャ領のコス島。ヒポクラテスの生地として知られており、第二次大戦中はドイツに占領されていました。その占領の経緯についてはドイツ最後の勝利として知られており、連合国国民にとっては大変苦い思いの伴う地名です。またこの戦いの時点ではイタリアは降服し連合国の一員となっていたため、駐留していたイタリア兵がかつての同盟国であるドイツによって多数殺害されました。このことはイタリア系アメリカ人にとっても大きなしこりとなっています。

        P10L13「7時の<ハントリー・アンド・ブリンクリー>ニュース・ショーの半ばになって」

        解注では触れていませんが、このニュース番組は当時視聴率ナンバーワンでした。しかしこのころウォルター・クロンカイトがCBSイブニングニュースのアンカーマンとなり、ベトナム反戦運動の論陣を張ります。また彼は、第二次大戦においても従軍記者としても知られており、そうしたただの左翼的反戦思想とは一線を画した実績を背景に、60年代半ば頃からハントリー・アンド・ブリンクリーから視聴率トップの座を奪い取ります。つまり当時のアメリカ人はハントリー・アンド・ブリンクリーの名を出されると、新時代の若者文化に敗れ去った過去の遺物というイメージが思い浮かべられることになります。

        P13L11「そのとかし方はジャック・レモンふうに」

        解注ではただの「映画俳優」としか紹介されていませんが、彼は喜劇俳優として有名でした。まじめに生きようとする主人公の夫であるムーチョの髪型やスタイルがバカっぽいということを示しています。また英語で「レモン」は欠陥品(特に欠陥中古車)という意味も含まれ、経済学でも後に「レモンの定理」「レモンの法則」として知られることになります。中古車業を営んでいたムーチョを「レモン」と呼ぶことは、アメリカ人の笑いを誘うものと思われます。

        P14L10「フレームはひん曲がり」

        ムーチョがかつて中古車業であったころの回想ですが、日本の「綺麗な」中古車と違い、アメリカでは中古車はゴミだらけ凹みだらけの使いふるしであることに注意する必要があります。そこには、かつての使用者の人生そのものが刻まれており、車を見ればその人や家族の人生を想像することができます。作中では他にも、人や社会などの主体そのものよりも、そうしたものを映し出す物の方が重要であるという描写が多数出てきますので注意しましょう。

        P16L10「ジャングルに隠れた日本兵、タイガー戦車に乗ったドイツ兵」

        主人公は28歳ですので、ムーチョは恐らく20代後半から30代前半と思われますが、これは60年代アメリカにおいては非常に微妙なお年ごろです。彼らの兄や親はまさに、日本兵やドイツ兵と戦うため戦場に兵士として赴いた世代ですが、エディパやムーチョは、戦場に出ることはなく、家庭で子どもとして「ジャングルに隠れた日本兵、タイガー戦車に乗ったドイツ兵」のことを親やメディアから邪悪な敵・悪魔として聞き育っただけです。そして彼らより更に下の世代は、そうしたイメージからも無縁にベトナム反戦平和運動に突き進むことになります。
        また、フォルクスワーゲンはポルシェ博士による設計ですが、タイガー戦車もポルシェによって開発されました。

        P19L16「市の中央病院がLSD-25」

        LSDは当時のおしゃれ麻薬の代表格であり、ヒッピー文化の象徴です。ビートルズもLSDに度々言及しています。ピンチョン以外のいろいろな作品にも登場するアメリカ文学の必須アイテムですので、記憶にとどめておきましょう。60年代においてはまだその麻薬性と危険性に論争があり、州ごとに違法合法の法規制がばらばらでした。

        P22L10「同じグループ療法(セラピー)の集まりに、パロ・アルト市」

        ヒューレット・パッカード社の本社などがあるカリフォルニアの都市で、当時のハイテク産業の中心でもあります。現在のシリコンバレーと範囲が若干被っており、フェイスブックもこの都市を拠点としています。そうした科学技術の先端都市で働き疲れた人々がセラピーに頼っているということをイメージさせます。この作品より少し後になりますが、ヒューレット・パッカードのCEOであるデビッド・パッカードは69年にその地位を退き、以後ニクソン政権の国防副長官として、ベトナム戦争などの指揮をとることになります。これにより当時の若者たちからは、老いたアメリカ・背徳的な先端科学の象徴として見られることになります。
        またパロ・アルトとはスペイン語で「高い木」を意味するそうで、これはパロ・アルト市周辺にも多く自生していたセコイアの木を指します。セコイアはその世界一とも言われる巨大さゆえに別名をアメリカ杉とも言い、強いアメリカの象徴ともされています。

        P25L5「スペインから亡命してきた美しいレメディオス・バロの絵画展にさまよいこんだ」

        解注でも詳細に触れられていますが、本作の理解においては郵便制度並みに大変重要ですので飛ばさずに読んでください。それ以外に、彼女の亡命の原因はナチの弾圧にあるという点も重要です。更に亡命後、ナチの強制収容所から逃れてきた男性と結婚しています。
        近代的人間というものはなにか見えないシステムに囚われ見張られているというのは、フーコーなどが指摘したところですが、そうした拘束的な何ものかを破壊し新境地を拓こうとするのが、ポストモダン文学の特徴です。
        また近代文学が起承転結という構造を持っていて結末もはっきりしているという特徴を持つのに対して、ポストモダン文学は起承転結もよくわからず結末もぼんやりしていて結論や著者の言いたいこともよくわからないという特徴がありますが、これらもバロの画のイメージと重なる部分があります。こうした点は文学に限らず絵画や音楽などのアートや、哲学などの思想の分野とも密接に関連していて、先日文藝部において取り上げられたジャクソン・ポロックの絵画なども、ポストモダン文学とイメージが重なる部分があることに注意しましょう。

        P35L3「エディパの今夜の計画はテレビで<ボナンザ>を見るくらいのものだった」

        当時爆発的視聴率を誇った西部劇です。郵便局がやはり重要な役割として度々登場します。彼らは野蛮で未開な西部において、合衆国という統一政府と秩序の象徴でもありました。私営企業ですが、作中にも登場するポニー・エクスプレスという西部開拓当時の郵便会社が中心となるエピソードも製作されました。

        P37L5「トルコのガリポリに行って、そこで父親は何とか小型潜水艦をつくるんだ」

        解注の通り、第一次大戦当時に連合国が、当時ドイツの同盟国であったトルコに上陸して失敗した作戦を描写したものです。ロシアの黒海と地中海を結ぶ戦略的要衝ダーダネルス海峡を封鎖する「ガリポリ作戦」「ダーダネルス作戦」は、メディアを通じて一般市民でも知っている、第一次大戦における超有名作戦の一つです。実はこの計画を推し進めたのは、後にイギリス首相としてナチと戦い続けたチャーチルです。彼はこの作戦の失敗で失脚したため、その後のナチの台頭に対する宥和政策とそれに伴う第二次大戦勃発の責任を問われることなく、棚ぼた式に総理の座を勝ち取ることができたとも言われています。つまり彼は、鉄の意志と若干の運の助けによって西側世界の自由と平和を守り通した人物というイメージを持たれていました。チャーチルは戦後、冷戦を意味することになる「鉄のカーテン」という言葉を作り上げましたが、そんな彼が死んだのが、作品の時代と重なる65年のことです。
        また、ダーダネルス海峡自体は現在に至るまで一貫して軍事的政治的要衝で在り続けており、特に60年代の冷戦においては、ソ連黒海艦隊が地中海に出てこないようにするための封じ込めポイント(チョークポイントと言います)として重要でした。その頃のトルコは(現在に至るまで)NATOの一員としてアメリカと同盟関係にあり、キューバ危機においてもソ連がキューバのミサイル撤去と引換に、アメリカに対しトルコに配備されていた核ミサイルの撤去を要求していたという経緯があるため、当時のアメリカ人にとってはトルコと言う名は非常に身近であったと思われます。その上、60年代当時はアメリカの友としてヘタをしたら人類滅亡に至るまで行動を共にしたかも知れない同盟国が、かつては恐るべき敵であったという皮肉をも感じさせます。

        P38「<ファゴーソ礁湖>というのは、ここから西のほうにある新興住宅地である」

        このような人造湖を掘って作った新興住宅地は、この頃のブームでした。そしてそれは、古き好きアメリカの象徴でもあり、アメリカンホームドラマ的良き家庭の舞台ともなりました。思想的にはエディパにも近い、共和党的保守層の地盤となっています。それは様々な意味で、古き好きアメリカの偽物・まがい物でもありました。後に続く描写にも、まがい物の建物やまがい物の湖底の遺物などが意識的に描写されていることに注意してください。これらの新興住宅の多くは後に、開発が行き詰まったり過疎化や財政難に襲われ衰退していきます。

        P45L2「 父親がオーストラリア・ニュージーランド共同軍団上陸拠点の絶壁の」

        通称アンザック(ANZAC)は、第一次大戦時に宗主国のイギリスを助けるために編成された部隊で、その精強さは度々メディアを賑わせました。そしてアンザックは、作品の舞台である60年代に戦われていたベトナム戦争にも派遣され、今度は逆に汚辱と敗北にまみれた不名誉な報道をされます。

        P54L15「ポーカー・フェイスの少女が着せかえのバービー人形に集中しているようだとエディパは思った」

        意外に知られていませんが、バービー人形は日本製です。そのためアメリカ人には、敗戦国日本の経済的復興や経済的侵略の象徴として見られました。着せ替え遊びという偽物を人形という偽物を使って楽しむ、更にその西洋人形を作るのは、戦争で打ち負かしたはずの東洋人…というように、この何気ない描写にもやはり何重にも絡みあった「偽装」の構造が見られます。
        おまけにバービー人形を考案したルース・ハンドラーはポーランド系ユダヤ人で、やはりここにもナチスの影を見て取ることができます。

        P61L2「「いいじゃないか。まちがえてボタンを押して戦争をやるなんてことだけ注意してくれれば」」

        このメツガーのセリフは、このころ発生したキューバ危機を背景に登場した「ボタン戦争」という言葉とそれに伴う、核戦争による人類滅亡の恐怖を表しています。それまでの古きよき戦争から、指先ひとつで数時間で人類滅亡という決着がついてしまう機械的で意義の乏しいジェノサイドの可能性という、人類の歴史上かつてない状況に直面したのが、60年代当時に生きた人々です。その衝撃はいかほどであったでしょう。

        P62L12「「あれはシュトックハウゼンの作品」とクールな灰色の顎ひげが教えてくれた」

        電子音楽のパイオニアだそうです。音楽には暗いんで、音楽的価値についてはよくわかりません。ただ解注では触れていませんが、やはり彼もナチと深いつながりがあります。精神病患者であった母親はナチにより安楽死させられており、父親はソ連との戦いに投入され行方不明になっています。
        また、作中では教育を「洗脳」と断定する描写が後に出てきますが、彼の音楽教育方法は型にはまらない自由奔放ななものとして知られており、同時に厳密な楽譜を参考にした演奏ではなく、即興性やそれに伴う多義性を重視した演奏法を堅持しました。この意味で彼の音楽はポストモダン文学の多義性に通じる所があるのかも知れません。

        P64L10「南部軍の巡洋艦<アラバマ>号と<サムター>号が」
        P65L10「「どっちでもいいことですよ」とファローピアンは肩をすくめてみせた」
        P65L14「これこそロシアとアメリカの全くの最初の軍事対決だったのです」

        アメリカ人が大好きな南北戦争のお話。特に「サムター」なんて聞いたら、歴史好きのアメリカ人はしびれちゃうことでしょう(戦国オタにとっての関ヶ原、幕末オタにとっての鳥羽伏見ってところでしょうか)。それを曲解して、60年代ホットであった米ソ冷戦における反共産活動に利用している団体のエピソード。ここでも本作のテーマである「偽物」が登場する。南北戦争は日本人にとっての幕末維新や戦国時代以上にアメリカ人にとっては一般教養なので、この部分の間違えに気付かない読者は恐らく少ない。しかし、たとえ間違えていようが曲解していようが、結論にはほとんど影響しないことに注意しましょう。

        P66L1「「ぼくらより左がかっている<ジョン・バーチ・ソサエティ>の仲間が殉教者に仕立てあげようとしている狂信者とは、わけがちがいます」」

        右翼団体のファローピアンに「左」とか言われちゃっているところが、これまたアメリカ人読者の笑いを誘うジョークになっている。ジョン・バーチ・ソサエティは当時非常に勢力を誇った右翼団体です。作品で扱われている反郵便陰謀組織と違い、ちゃんと議会に議員まで送り込んでいた、当時の公民権運動などにも反対した反動的勢力です。こうした実在でかつ有力な組織を取り上げることにより、作中に登場する各種秘密組織のリアリティを高めています。

        P68L14「 WASTE?ウェイスト?エディパは不思議に思った。この告示の下に鉛筆で薄く、いままで見たこともない印があった」

        本作で多数登場する言葉遊びの一つです。更に注意すべき点は、この前の告知文は口紅で書かれているのに、ここで登場する喇叭のヒエログリフのようなシンボルは鉛筆で描かれている点です。つまり、両者は全く別の人間によって書かれた、何の関係もないものである可能性が高いことになります。それをエディパは勝手に、両者が同一の人間によって描かれていると思い込み、反郵便制度の陰謀が存在しているとの考えに囚われていくことになります。

        P70「「これと似た実験はワシントンと、それからたぶんダラスの支部でやっています。が、カリフォルニアでは、いまのところ、ぼくらだけ」」

        ファローピアンはこうした反郵便組織がカリフォルニア以外にも存在していると言っていますが、全く根拠が存在しないところに注意しましょう。アメリカ人読者の多くもそのことにすぐ気づきニヤリとするはずです。首都である以上悪徳と腐敗にまみれたワシントンに存在する「であろう」と妄想するのは当然として、ダラスにも存在する「であろう」と妄想している理由は、63年のケネディ大統領暗殺が原因だと思われます。この事件によりダラスはアメリカ人にとって「city of hate」(憎むべき都市)というありがたくない別名で知られることになります。そうしたダーティなイメージに基づいて、後の78年には「ダラス」というドラマまで作られ大ヒットすることになります。

        P72L16「彼の会社を組織したデラウェアにおける代理人」

        エディパの元恋人の会社のことですが、この州の法律は会社の設立や解散が容易なことで有名で、アメリカの企業の多くが形式的に本社を置いていたりします。本作にも登場するIBMやヒューレット・パッカードもデラウェアが書類上の本社です。数万円の費用で一日で株式会社を設立できるため、日本人もよくここで日本にいながら会社を設立して世界中で商業活動を行なっています。
        他にもアメリカ人にとっては「デラウェア州=イカサマ・不正」というイメージがあります。これは、最初にデラウェアに入植したイギリス人がインディアンを騙して土地を巻き上げたという故事が有名なためです。なんとブリタニカ百科事典にも土地詐欺の例として載っているほどです。
        またデラウェア州は伝統的に、中央政府の権限強化に反対するリパブリカンや分離主義運動の活発な地域でもあります。そうした意味で、読者にとっては反郵便運動のような地下組織が存在しても不思議はないというイメージを与える役割も果たしています。
        更にこの州は、南北戦争以来人種差別問題で中心的役割も果たして来ました。公民権運動においても、各種の裁判や反差別闘争によってメディアを賑わせました。
        ちなみにリパブリカンの反対勢力である連邦主義者のことはフェデラリスト(federalist)と言いますが、切手収集家のことはフィラテリスト(philatelist)と言います。切手マニアだった僕は小中学生の頃、この2つをよく聞き間違えたのですが、このあたりの音感の類似はアメリカ人にとってどう感じられているのでしょうか。

        という訳で、気が向いたら続く。

        トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び4
        http://nakamiya893.jugem.jp/?eid=3424






        トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び2

        0
          トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び1の続き。

          さて、読書会前なので、参加者による読み方にバイアスを与えないために突っ込んだことは書かないが、僕なりの作品理解のための手がかりを述べて見ることにする。何度も繰り返すが、ポストモダン文学というものは解釈の多様性や、そもそも解釈可能なのかどうかというところまでをテーマやその特徴としている以上、ここに書くことは正解でもお手本でもなんでもないので、あくまでも参考にとどめておくように。

          ○「競売ナンバー49の叫び」が壊そうとしているものは何か

          くり返しになりますが、ポストモダン文学には、読者の固定概念や思い込みを破壊することによって新たな見方を提供するというというものが多くあります。では、本作では一体何を破壊しようとしているのでしょうか?
          固定観念や思い込みというものは、それぞれの文化や時代によって異なります。つまり、ポストモダン小説を味わうためには、著者が一体どのような読者を対象にしているのかが重要になります。本作は1960年代アメリカの文化を共有している人々を主たる読者として想定しているわけで、著者のピンチョンは、1960年代アメリカを生きた人々が持っていたであろう固定概念を壊そうとしていたと思われます。では、1960年代アメリカには一体どのような、壊すべき固定概念が存在したのでしょうか?それを理解する手がかりを見て行きましょう。

          ○アメリカの郵便制度の特殊性

          アメリカには日本と決定的に異なる点が多数存在しますが、本作で扱われる郵便制度もその一つです。アメリカ人にとって郵便制度というものは、日本人が郵便制度に対して持っているイメージとは大きく差があります。日本人が本作にピンと来ない原因の多くは恐らく、この点に思い至り難いところにあります。
          まず、アメリカは日本のような中央集権国家ではないことに注意してください。国に匹敵する強力な権限を持つ「州」が集まってできたのがアメリカです。州によって法律も制度も全く異なるような国です。州が変わると税金も違えば教育制度も違います。運転免許や交通ルールも州ごとに異なります。それどころか死刑制度の有無だって、州によって違ってきます。なぜなら民法や刑法を制定し運用する権限は連邦にではなく州にあるためです。
          そればかりか、警察や軍だって、一義的には州に権限があります。だから各州は選挙で選ばれたシェリフ(保安官)が治安を維持し、正業の傍ら週末にパートタイムで訓練を受けた陸空(海はありません)の州兵が州知事の指揮下で軍事行動を行い、有事には(一時的に連邦軍に編入されて)海外に派兵されます(第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の際にも派遣されました)。911の同時多発テロが発生するまでアメリカ軍には、欧州軍司令部や太平洋軍司令部など世界中に司令部があっても、本土防衛のための連邦軍司令部さえ存在しない程でした。本土防衛は各州ごとの州兵の担当だったのです。そういう事情があるため、911の時に空を飛び回っていたF16戦闘機はアメリカ空軍所属ではありません。パートタイムのパイロットが操縦する州兵空軍のものです。映画ランボーに登場する、ランボーを山中で追い掛け回していた兵士たちもアメリカ陸軍ではなく、州兵です。普段はサラリーマンとか農夫として働き週末だけ訓練して手当をもらっているおっさんたちが、州知事の命令でランボーとかいう荒くれ者を狩りだすために動員されていたわけです。
          大統領を長とする中央政府である連邦政府にはFBIや連邦軍などの中央組織は別にありますが、それらはあくまでも、州をサポートしたり国外向けの任務を遂行する存在に過ぎません。これほど地方分権的な国家なわけですから、当然「日本国民」という意識と「アメリカ国民」という意識との間には大きな違いが出てきます。アメリカよりも州に忠誠心を持つのが「アメリカ市民」には比較的多く見られる傾向です。
          そんなわけで、南北戦争から150年以上経った現在でも、自分が住む州の連邦からの離脱・独立を望む人々の勢力は政治的に無視できませんし、日本でよくある「沖縄独立論」や「北海道独立論」のような夢想的な議論とは違い、「カリフォルニア州独立論」といったようなものは合衆国市民の多くにとっては、相当程度にリアリティのある話なのです。最近でもオバマ大統領に対する失望から、各州の分離主義者による政治活動が活発化しているという報道があります。

          米国で州の独立を求める声高まる
          http://www.afpbb.com/article/politics/2651958/4751654

          そんな、警察も軍も裁判所も州ごとにばらばらなアメリカにおいて、一般市民が日常的に「連邦政府」を意識できる巨大機関が1つだけ存在します。それが、郵便局です。
          現在は合衆国郵便公社により運営されている郵便制度ですが、1971年までは合衆国郵政省の管轄下にありました。つまり、FBIや連邦軍や連邦裁判所のお世話になる機会が稀な一般的アメリカ市民にとって、郵便屋さんというのは、日常的に「連邦政府」というものを実感させられるほとんど唯一の組織なのです。そのため、アメリカ人にとって郵便屋さんというものは、一種の心の支えや合衆国統一の象徴といった、ある意味イデオロギー的な側面を持っています。アメリカ映画やドラマ、特に西部劇などにはよく、郵便配達人に飲み物などを振る舞うといったシーンが出てきますが、これらは「郵便屋さん=アメリカ」とさえ考えてしまえるアメリカならではの土壌と密接に関連しています。ケビン・コスナー主演で映画にもなったデイヴィッド・ブリンのSF小説「ポストマン」では、核戦争でバラバラに崩壊したアメリカを、なんとなりすましの郵便配達人が中心となって再統一する、なんて話にまでなってしまいます。

          Wikipediaより ポストマン (小説)
          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

          こう考えると、「競売ナンバー49の叫び」における合衆国郵便制度に対する陰謀論めいた描写には、アメリカ人にとって特別な意味があることがわかります。それは単なる変人やキチガイの妄想的運動ではなく、中央政府に対する不信感を基盤とした、反連邦活動・反政府活動という側面があるのです。特に1960年代アメリカにおいては、ベトナム戦争や不況、人種対立など(州兵や連邦軍まで介入しました)、様々な政府に対する不信や不満が渦巻いていました。そんな中でアメリカ人にとっては、本書が描いているような陰謀論は、ただの荒唐無稽な笑い話として片付けられないようなある程度のリアリティや魅力を持っていたのです。

          ○言語の使用がもたらす固定概念

          言語は、そもそも何語を用いるかによって、その人の考え方を固定化しまう傾向があります。興味のある人は、ソシュールとかレヴィ・ストロースとかノーム・チョムスキーあたりをググってください。
          我々は、英語を話すか日本語を話すかといったことは、その人の考え方や思想に影響をあたえることはない、人類みな一緒!などと考えがちです。それが正しいかどうかは別にして、ポストモダン小説の多くは、そうした思い込みに挑戦するため、言葉遊びを多用する傾向があります。例えば本作でも、Postmaster(郵便局長)をPotsmasterなどと言い換えてみたり、登場人物の名前に色々なネタが隠されていたりします。こうした仕掛けを用いることにより、言葉の多義性やコミュニケーションの困難さが明らかにされ、「書けば伝わる、話せば伝わる、そこに誤解の余地はない」という言語に対する思い込みが崩されて行きます。

          ○マイノリティ問題

          本書では黒人、ヒスパニック移民、ゲイ、女性など、様々なマイノリティが登場しますが、1960年代は、公民権運動を始めとする各種のマイノリティ問題が論じられてきた、いや争われていた時期です。特に黒人問題については、64年にケネディー大統領が公民権法を制定しますが、そこに至るまでの道はまさに血塗られた道でした。南北戦争は言うに及ばず、57年にはアーカンソー州において、黒人学生が白人向け高校に入学するのを阻止するために州知事が州兵を差し向け、それに対抗するために、第二次世界大戦の英雄でもある当時のアイゼンハワー大統領が連邦軍を差し向け黒人学生を護衛するなどして、軍事衝突の一歩手前まで来たほどです。有名なキング牧師の暗殺もこの頃です。

          ○冷戦と平和運動

          62年のキューバ危機は、アメリカ人にとっては勿論のこと、世界中の人々に核戦争による人類滅亡に対する危機感を植えつけました。30歳未満の人々には想像もつかないかも知れませんが、日本人である70年生まれの僕でさえ、子供時代はある程度のリアリティを持って、「ある日突然核ミサイルが降ってきて自分が死ぬのは勿論のこと人類が滅びるかも知れない」という漠然とした不安を多かれ少なかれ抱いていたものです。
          また、ベトナム戦争において、「世界最強かつ正義と自由をもたらすアメリカ軍」というアメリカ市民のもつイメージが崩れ始めたのもこの頃です。

          ○第二次世界大戦敗戦国の経済的勃興

          60年代といえば、第二次大戦で日独伊などの枢軸国と兵士として戦った世代は40-50代の中堅世代になっています。彼らにとってドイツ人はナチであり、日本人はジャップです。つまり、野蛮な敵国人です。そうした敵を打ち倒し、世界に自由と平和と正義をもたらすために戦ったというのが、彼らの意識です。ところが、彼らの子どもの世代はそうではありません。20代のアメリカ人にとって、日本人とは、何かクールな電気製品やバイク、特撮映画などを作る人々です。作中でも、ソニーのトランジスタラジオや、ホンダのバイク、ゴジラ号と名付けられた船などが登場します。同じようにドイツ人は、なんだかかっこいいロック向けファッションを提供してくれる人々だったりします。作中では、ナチスの制服やハーケンクロイツの腕章なんてものまで売られています。当然こうした現象は、命をかけて戦ってきた中年以上の世代にとっては我慢できるはずがありません。

          ○世代間対立

          以上の各問題の背景には、実はもう一つ世代間における考え方の差という問題が存在します。作中でも、主人公らが不良少年達や大学生・大学院生といった若い世代とのギャップに戸惑ったり憤ったりする場面が多数出てきます。
          この時代においてこうしたマイノリティ問題に一応の解決が見られたり、平和運動が活発化したりした背景には、当時の学生運動やヒッピー文化などを始めとする、若い世代の新しい考え方の存在が大きく関わってきます。
          彼らの親の世代にとってアメリカとは、作中にも出てくるアンクルサムそのものでした。アメリカは良き父であり正義であり繁栄をもたらす存在だったのです。ところが、若者たちにとってはそうではありません。アメリカとは不正と悪徳にまみれた権威主義的な暴力オヤジのようなものなのです。しかも若者にとっては、もはや経済的にも豊かさを約束してくれる存在ではなくなってしまっています。

          ○夢と現実との狭間

          そもそも本作で描かれた陰謀は、事実なのでしょうか。それとも、主人公のただの妄想なのでしょうか。作中には何ら答えは示されていません。
          このように、「事実」とは何か?だいたい「事実」なんて存在するのか?という問いも、ポストモダン文学ではよく見られるテーマです。例えばこれまでの課題本を見ても、ポール・オースターの「最後の物たちの国で」は送られてきた手紙がそのまま小説となっているような構成になっていますが(実は違うのですが)、まるで北朝鮮のような破綻国家での困窮生活を訴えるその手紙の内容が事実なのかどうなのかさえ示されていません。ひょっとしたら、そこに書かれている内容はすべてフィクションか間違いなのかも知れませんし、それどころか、手紙の書き手自体がもともとその国にいるわけではなく、実は精神病院にでも入れられていて、そこから妄想を書き綴って送りつけているだけなのかも知れません(著者が意図的に隠してしまい書いていないためあまり気付かないことですが、主人公は手紙の書き手ではなく、手紙を受け取って読んでいる人間だということに注意してください)。

          ○「自分」とは何か?

          いわゆるアイデンティティ問題ですね。「自分」とか「自己」なんてものが存在するのかというのも、ポストモダン文学が好んで扱うテーマです。作中でも、主人公やその夫を始めとして、まるで多重人格のようになったり、突然性格が変わったりして戸惑う場面が見られますし、悪ガキ達がみんな同じように見えて判別がつかなかったりします。また、登場人物の描写自体が非常に希薄なものになっています。
          これまでの課題本においても、カルヴィーノ「見えない都市」ではフビライとマルコ・ポーロという実名が使用されていますが、それら登場人物の特徴については殆ど描かれず、実はただの記号的扱いになっています。ポール・オースターの作品群においても同様です。カフカにいたっては、主人公の名前がKなどと、文字通り記号化されてしまったりします。
          一般的に言ってポストモダン文学は、人間などの「主体」よりも、主体同志の関係性に注目します。人間というものはそれ自身によってではなく人間関係の構造によって存在の意味や意義などが決まってくるというわけです。ポストモダン文学が人物描写にあまり力を入れないのにはそういう理由もあります。そしてそこにとどまらず(そこでとどまるとただの近代文学になってしまいます)、そうした関係性を破壊してみせて「人間」の個性とか存在意義などに疑問を感じさせるというのが、ポストモダン小説のセオリーの一つです。本作においても、主人公の女性がゲイばかりいる店に入った瞬間、客の誰からも興味を持たれなくなり孤立するというシーンがあります。これは人間関係を構築する上で重要な「女性」という一つの属性が、実は社会や環境の変化によって簡単にその意義をひっくり返されてしまうことがあるということを示しています。

          ○偽装の物語

          本作では偽造切手や偽インディアン、剽窃本などの様々な「偽物」が登場しますが、ポストモダン小説は、様々なものを偽装します。「本物」と「偽物」の違いは何?区別することに意味があるの?というのは、ポストモダン小説が好んで扱うテーマの一つです。時には作品のジャンルさえ偽装する場合があります。例えば本作は推理小説を偽装しています。ポール・オースターの一部の作品も同様に探偵小説や推理小説を偽装していますね。同じオースターでも「最後の物たちの国で」は前述のように、手紙やルポルタージュを偽装しています。カルヴィーノ「見えない都市」は、歴史小説や都市論を偽装していました。日本で言うと、田中康夫「なんとなく、クリスタル」はバブル時代のカルチャーガイドを偽装しています(田中康夫自身は、「偽装じゃない!まじめに書いたんだ!」とか言っているようですが)。そうした偽装に沿って読むのも一興ですが、偽装に囚われて固定概念のまま読み進めると、罠にハマり、何が書いてあるのかよくわからずに読み終えてことが往々にしてあります。

          とまぁ、これぐらいのことを下調べしておくと、今回の課題本もかなり読みやすくなると思います。以上のようなことを踏まえたアメリカ人にとって本作品は、決して難解で小難しい文学作品ではなく、一種の筒井康隆的ギャグ小説やSF・ファンタジー小説の類として読まれているものであるということを忘れずに、気楽に読んでみてください。

          明日に続く…かも?
          http://nakamiya893.jugem.jp/?day=20120116

          トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」が難解だとの叫び1

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            ※長くなりそうなんで、18日までに読み進められるように、書き上げたところから分割して投稿してみます。

            13日の猫町倶楽部月曜会藤が丘会場課題本トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」は典型的なポストモダン小説ということもあってやはり参加者の多くから「何を書いているのか意味がそもそもわからない」という意見が多かった。確かにポストモダン小説は一般的な近代文学作品と違い独特のお約束や読み方・書き方の作法があるために、読み慣れていないと「難解」との印象を受けるのだが、逆に言えばお約束さえ知ってしまえば比較的簡単に読み進められるので、今回はちょっと簡単に、ポストモダン文学のたしなみ方を、18日の読書会を前に先入観を与えない程度に書いてみようと思う。
            「競売ナンバー49の叫び」自体は、内容を理解できるかどうかは別にして、仕事後のひとときを充てれば2日で十分読み終えられる分量なので、藤が丘会場で「よくわからなかった」と消化不良だった方も、そもそも難解で読書会自体に参加を見合わせたという方も、18日(水)の名古屋会場には十分間に合うので、挑戦してみよう。
            特に、ポストモダン文学はもともとSFやファンタジー、日本アニメ・漫画に通じる点が多いので、文学作品に余り触れた経験がない方でも、そちらの方面が大好きな方はむしろ、文学好きな人よりも腑に落ちる部分が多いかも知れない。

            ○そもそも文学って何?どう接すればいいの?

            文学作品は処方薬のようなものです。決して毎日食べるご飯ではありません。
            薬である以上、病人にしか効きませんし、病気ごとにそれぞれ異なる薬が必要です。不適切な薬を飲ませたり、健康な人に飲ませても意味はありません。むしろかえって副作用で死んでしまうかも知れません。文学作品とは、心に何か闇を持っている人が、その抱える闇にふさわしい作品を読んで初めて効果をもたらすものなのです。従って、人によって必要とする文学作品は違いますし、初めから文学作品を必要としない人もいます。もしあなたが「読んでもわからなかった」ということは、そもそもその薬を必要としなかったのかも知れません。自分が薬を必要としない健康な体であったことをむしろ喜びましょう。そしてもし「読んで感動した!」という人は、自分の病が一体どのような種類のものなのかを一度じっくり考えてみることが有益かもしれません。少なくとも、相手が自分と同じ病気かどうかの診断もせずに、無闇矢鱈に自分の病にたまたまフィットした薬を勧めることは止めましょう。

            繰り返しますが、ポストモダン文学に限らず、もともと文学作品とは、読んでも理解できなくて当然なものなのです。「何が書いてあるのか、著者が何を言いたいのかわからない」ことを怖れてはいけません。日本の阿呆な国語教育においては、試験で「著者が言いたかったことを選びなさい」とか馬鹿馬鹿しい問題を出したりするので、「文学作品は読んだら理解できて当然」という強迫観念が日本人にはありますが、間違っているのは「読んでもわからなかった自分」ではなく、そんな愚かな問題を作りあげた文学者、教師、お役人です。そうした馬鹿なことを国語教育でやっているのは日本ぐらいなので、暗黒の義務教育時代のことは忘れて自由に読み自由に「誤解」(というより独自解釈)しましょう。

            ○ポストモダン文学ことはじめ

            ある程度「著者が言いたかったことを述べよ」式設問が有効な近代文学と違い、ポストモダン文学はある意味ひねくれた、特殊な書き方・読み方を強要します。
            月曜会で最近取り上げられた課題本の中でポストモダン文学に分類される・されうる作品は、以下になりますので、これからピンチョンを読む方は、これらの回を思い浮かべたり「話し足りん」トピを参考にしてみると良いかも知れません。ちなみに、カルヴィーノ「見えない都市」 については、僕が過去に読書会後に書いた文章がありますので、かなり長いですが当時参加された方や読んだことのある方、本稿終了予定の17日まで待てない人は、参考にしてみてください。

            http://d.hatena.ne.jp/nakamiyatakashi/20110218

            ・田中康夫「なんとなくクリスタル」
            ・カルヴィーノ「見えない都市」
            ・ポール・オースター「幽霊たち」「最後の物たちの国で」「偶然の音楽」
            ・フランツ・カフカ「城」 ※この作品がポストモダン文学に分類されるかどうかは意見が分かれています。

            とりあえずこれまでの課題本に関して言えば、以上を読めばポストモダン文学ってどんなもんじゃいってなことはおぼろげに見えてくるはずです。

            ○ポストモダン文学の作法

            余り理解されていないことですが、文学作品は解釈が一つに定まるものではありません。読み手によって、解釈がある程度バラバラになるのが当たり前です。解釈を一つだけに定めたいのなら、小説や詩ではなく論文を書けばいいだけです。つまり、解釈が一つしかでてこないような小説は、優れた文学作品とは言えませんしそもそも文学作品とさえ言えないことも多いことになります。それは単に冗長で散漫なだけで、論文の劣化コピーに過ぎないからです。論文で書いたほうがより良く伝わるものをわざわざ文学作品にする意味はありません(だからといって大衆小説やラノベ、漫画等が無価値なわけではありません。それらは文学作品とはまた別の価値を持ちます)。

            ポストモダン小説は、近代小説以上に前述のような解釈多様性の傾向が大きくなりますし、「解釈不能」ということさえありえます。ですからしつこいですが、「読んでもわからない」ということを恐れないでください。
            ポストモダン文学の定義は実は、近代文学ほど明確ではありません。せいぜい「近代文学ではないもの」というのが最大公約数的な定義に過ぎません。しかしそれではあまりにもぼんやりしすぎているため、ちょっと強引ですが、ある程度その特徴を列挙してみましょう。すなわち…

            ・書いていることよりも書いていないことの方が重要
            ・ナンセンスやいたずら等の時として意味のない記述が存在していて全体的に軽薄感が漂う
            ・読み手の既成概念や思い込みを破壊するというスタイルが多いため、書かれた当時の状況や著者の属する国家・社会における共通概念・通念・社会制度・社会問題等の基礎知識が必要、とは言わないまでも重要
            ・登場人物の特徴がわかりにくく、それどころかKなどと完全に記号化されている場合さえあるので、人物をイメージできなかったり人によりイメージが大きく違ったりする場合が多い(読者に固定観念を与えないためにわざとそうしている)
            ・創造よりも破壊を意図している場合が多い(優れたポストモダン文学の場合、破壊だけで終わるのではなく破壊の先に新たな視野が開ける)

            以上のことから、もし「読んでもわからない」という方で、「それでもどうしてもわかった気になりたい」って人は、とりあえず以下のことを試してみましょう。一般的な小説と違って「わからない時はわかるまで何度も繰り返して読んでみる」という戦略が余り有効ではないことに注意してください。

            ・作品が発表された時代と、発表された国・社会について、ネットなどで調べて見て、当時どのような社会問題が存在しどのような論争があったのかを俯瞰してみる
            ・わからない用語が出てきたら、とりあえずグーグル等で意味を調べてみる
            ・それでも意味がわからなかった箇所があったらどんどん飛ばす

            以上がポストモダン文学を読む場合において特に気をつけなければならない点です。とにかく、当時の人々の持っていた固定概念や一般常識等を共有することが重要です。なぜならポストモダン文学は大抵、そうしたしがらみや思い込みを破壊するために書かれているからです。

            今回のトマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」の場合、1960年代のアメリカ人の考えや生活について知ることが、作品理解の助けになります。ですから、ネットで60年代アメリカについて、年表を確認することから始めて色々調べてみましょう。切手や車などは写真を検索してみましょう。曲が出てきたらユーチュブやニコニコ動画などで聞いてみましょう。
            とりあえず、公民権運動、米ソ冷戦(キューバ危機、朝鮮戦争、ベトナム戦争)、アメリカの郵便制度の特殊性(日本や諸外国と違ってアメリカは、州が集まって出来ていて州ごとに法律が違う連邦国家であるという点は特に重要です)あたりの理解は必須です。それでも余裕がある場合、赤狩り・マッカーシー旋風、第二次大戦及びナチスドイツとの戦い(タイガー戦車、スツーカ爆撃機、イスラエルによるアイヒマン逮捕、ジッポーなどが登場していますね)なども調べてみましょう。このあたりは、周りにいる軍事オタクにでも尋ねてみたほうが手っ取り早いかも知れません。多分あなたが席を立ち去るまで延々と嬉々として語りまくってくれるでしょう。

            多分明日に続く…
            http://nakamiya893.jugem.jp/?day=20120116

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